イン・シンクとバックストリート・ボーイズ誕生秘話:詐欺師と言われた生みの親の策略とは

バックストリート・ボーイズ(左)とイン・シンク(右)(Photo by Tim Roney and Bob Berg / Getty Images)

イン・シンクとバックストリート・ボーイズ。90年代に繰り広げられたボーイズ・グループ同士の不仲は今でも語り草となっている。彼らの生みの親でもある、レコード・プロデューサーで詐欺師のルー・パールマンはどうやって最強のティーン・ポップ・グループを作り上げたのか?

2015年に公開されたバックストリート・ボーイズのドキュメンタリー『Show ‘Em What You’re Made Of』のあるシーンが、音楽史上最も利益を生みだした2組のボーイズ・グループの間にあった奇妙な緊張感の正体を物語っている。

このドキュメンタリーの中でケヴィン・リチャードソンが「あれはほとんど裏切りだった」と語っている。“あれ”とは、1995年にバックストリート・ボーイズを作った張本人であり、彼らのレーベルのCEOだったルー・パールマンが、リチャードソンにVHSビデオを見せたことだ。このビデオでは新たに結成されたイン・シンクがパフォーマンスを行っていた。

リチャードソンが続ける。「僕たちがグループを始めた頃、『全員がチームだ。みんなで世界を取るぞ。俺たちは唯一無二だ』と思っていた。でも、その後に『あれっ、似たグループがいるぞ』と気付いたわけだよ」

90年代半ばのことだ。当時、ティーン・エイジャーにアピールするスター的なポップ・グループが皆無だった。80年代にティーンの心を鷲掴みにしたニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックは、ミリ・ヴァニリの口パク疑惑の発覚とグラミー賞剥奪の影響で存在感が薄れていた。ポップスターの薬物乱用騒動が次から次へと起こる中、ボーイズ・グループというジャンルはスター不在となり、その穴を埋めるようにグランジが台頭し始めていた。

その頃、保険金詐欺の過去を持つパールマンは、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックというビジネス・モデルにインスパイアされる。フロリダ州の地方紙オーランド・センチネルに、ポップ・グループで歌うボーカリストの募集広告を掲載し、ここで集められたメンバーが1993年に生まれたバックストリート・ボーイズとなった。しかし、バックストリート・ボーイズが世界的な人気を得だした頃、パールマンは予想外の行動に出る。自分が作り上げたボーイズ・グループと酷似したライバル・グループを結成したのである。

「いつもオーランドを次世代のモータウンにすると冗談を言っていた。でもR&Bグループじゃなくてポップ・グループだからスノータウンって呼んだほうがいいかもな、というようにね」と、1998年にローリングストーン誌の取材に応えたイン・シンクとバックストリート・ボーイズの当時のマネージャー、ジョニー・ライトが語っている。ライトはニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックのツアー・マネジャーをしていたが、パールマンが作った未来のスターたちの世話をするために呼び寄せられた。

「(モータウンで言えば)バックストリート・ボーイズはテンプテーションズ、イン・シンクはフォー・トップスって感じだろうね」とライトが説明した。

Translated by Miki Nakayama

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