イン・シンクとバックストリート・ボーイズ誕生秘話:詐欺師と言われた生みの親の策略とは

イン・シンクはバックストリート・ボーイズに対してそれほど苦々しい感情は持っていなかった。結局は彼らの後を追うことになるのだが。「人っていうのは何でも詐欺のネタにするものだ」と1998年にジャスティン・ティンバーレイクがローリングストーン誌の取材で答えている。「僕たちはそんなふうに考えなかっただけだよ」と。

そんなことがあっても、彼らの競争が終わることは決してなかった。セールスという現実的な点で比較すると、バックストリート・ボーイズの方が多くのアルバムを売っている。しかし、イン・シンクはティンバーレイクという両グループの人気をも凌駕するスーパースターを輩出した。また、この2組が繰り広げたライバル関係は男性ボーカル・グループという予期せぬブームを牽引することなり、98 Degreesやリアリティ番組出身のO-Townという後続のグループも登場した。しかし、成功したグループは1組もおらず、彼らもパールマンが搾取した金銭を取り戻すために戦うハメになった。



ティーンを対象としたムーブメントは何でもそうだが、スターもファンも共に成長する。メンバーのソロ活動に集中するために、イン・シンクはグループ活動を休止した。一方、バックストリート・ボーイズは、名声がメンバーを食い潰す現実を体験し、2001年、A.J. マクリーンがリハビリ施設に入ることになった。この後すぐにティンバーレイクはソロ活動をスタートさせたのである。また、彼らと同世代の人気者ブリトニー・スピアーズとクリスティーナ・アギレラもライバル関係と見なされていたポップ・アイドルだが、この頃には彼女たちも大人になり、清廉潔白なイメージをゴリ押ししようと躍起になっていた。

イン・シンクとバックストリート・ボーイズが人気を博して以来、2〜3年ごとに10代のポップ・スターが出現する波がくる。ザ・ジョナス・ブラザーズはほとんど苦労せずにスターダムにのし上がったが、彼らと同じディズニー・チャンネル出身の女性アイドルたちはブリトニーやクリスティーナのクローン化を求められる苦労を強いられた。その後、ワン・ダイレクションとザ・ウォンテッドがライバル視されたが、これはグループ主導ではなく、ファンの願望によって出来上がったライバル関係だった。最近もホワイ・ドント・ウィーやプリティマッチなど、新たなボーイズ・グループが登場して、ワン・ダイレクションが抜けた穴を埋めているが、どのグループもまだライバル関係にはなっていない。

今日でもイン・シンクとバックストリート・ボーイズのライバル関係は、両グループを語るときに欠かせない伝説となっている(最近、イン・シンクのジョーイ・ファトーンが「バスケットボールの試合だったらイン・シンクはバックストリート・ボーイズに楽勝だっただろう」とふざけて言ったことで、かつてのライバル関係に再び火が点いた)。あの頃、すべてのセレブリティが文句を言っていたように、きっとアーティストたちは競争に心躍ることなどなかっただろうが、それでもポップスターのライバル関係は彼らをスターダムに押し上げる起爆剤だったのである。


Translated by Miki Nakayama

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