チャールズ・マンソン:カルト指導者の遺体をめぐる争いの内幕

ジェイソン・フリーマン

マンソンと最初の妻ロザリー・ウィリスの孫息子。フリーマンは祖父の遺体と財産の所有権を求めて裁判を起こした。彼の父チャールズ・マンソンJrは、1993年に自殺している。

フリーマンはローリングストーン誌に対し、マンソン自身と最後の7年間は交流があったと述べている。その間彼は「祖父のことを少しは理解するようになり、祖父も孫のことを理解するようになっていた」という。総合格闘技の元プロであるフリーマンは、マンソンとの時間を「プライスレス」なものだったと振り返る。

「物心がついた頃から、常に自分の祖父が誰であるかを意識していた」と彼は言う。「いつでもついて回ったし、自分でもよくわかっていた。自分の生まれる前に神が用意したビッグステージに乗ることになろうとは、夢にも思わなかった」

マンソンの遺体に関しては、フリーマンは家族の問題だと考えている。「(訴えを起こしている)他の人々は家族ではない。彼らはただ、私の祖父の安息の地に関して時間と場所を無駄に使っているだけだ」と言う。カーン郡裁判所への訴えの中でフリーマンは、ブルンナーは養子であり親子の関係は断絶していたため、ブルンナーには遺体の所有権を主張する権利はない、と指摘している。

信心深いフリーマンは最後に、「神がマンソンにとある計画を用意している」と述べた。

「私は孫息子として、祖父、そして彼の真の友人たちへの尊敬の念を適切な方法で示すために行動している。自分だけのためにやっているのではない。人生の真理を信じる人々のためなのだ」と彼は説明する。「私は、自分の役割をこなしていくただの道具にすぎない。それは私や家族の人生に多くの苦難を与えてきた。私は日々闘いに備えている。私は最前線の戦士であり、神は強い意志を持った人々を働かせるのだ」


マイケル・ブルンナー

1968年4月に生まれたブルンナーことヴァレンティン・マンソンは、「くまのプーさん」というあだ名で呼ばれていた。彼は母メアリーやマンソン・ファミリーと共にトパンガ・キャニオンで暮らし、後にスパーン牧場へ移った。その後1969年8月にメアリーは、クレジットカード詐欺容疑で逮捕されている。つまり彼女は、テート殺害事件やラビアンカ殺害事件には関与しておらず、彼女の両親がブルンナーを養育した。1993年、KCBSのインタヴューで彼自身が明らかにしている。これが彼の最後の主要メディアへの出演だった。ブルンナーと74歳になる母親はどちらも、敢えて世間の目を避けている。

ブルンナーのカーン郡裁判所への訴状によると、彼はマンソンの遺体の所有権を主張し、彼が遺体を引き取れば「火葬し、遺灰は厳かな方法で秘密裏に撒く」ことができる、としている。彼の代理人を通じて本人へのコンタクトを試みたが、連絡が取れていない。

Translation by Smokva Tokyo

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