レディオヘッド『パブロ・ハニー』知られざる10の真実

『パブロ・ハニー』リリースから25年、知られざる10の逸話(Rlling Stone)

放送禁止用語を含む『クリープ』でのジョニー・グリーンウッドの偶発的な妨害行為など、25年前の1993年にリリースされたレディオヘッド『パブロ・ハニー』に関する10の逸話を紹介する。

1993年2月22日にリリースされたデビュー・アルバム『パブロ・ハニー』は、レディオヘッドがオックスフォードのクラブで演奏するメインアクトから、コンテンポラリー・アート・ロックの創造者として世界的な称賛を受けるまでの、長い旅路の最初の大きな一歩となった。同アルバムには、バンドの後の作品に見られるような音楽的な斬新さはなかった。しかし、バンドに影響を与えたアーティストがあからさまに見え、しかもそれを彼らが自覚していないことが新鮮だった。U2、ザ・キュアー、ザ・スミス、さらにザ・フーからの影響も垣間見られた。トム・ヨーク率いるバンドが、シアトルから漂ってきたグランジ・サウンドにうんざりし始めていた音楽シーンに、彼らの陰気なブリティッシュ性をアピールしようと頑張る姿が見られる。『パブロ・ハニー』の最も大きな特徴は、できるだけサウンドに特徴を出さないようにしている点かもしれない。バンドは世にアピールするというよりも、ただひたすら曲を作っていただけのようだった。

シングル曲『エニワン・キャン・プレイ・ギター』をアルバムのリリース直前に先行させたことに反発していた彼らだが、『パブロ・ハニー』は、明らかにロックスターを目指す少年たちの作品のように聴こえる。彼らの夢は『クリープ』で叶えられた。大西洋を越えてスマッシュヒットとなった同曲は、良かれ悪しかれ、アルバムの他のすべてを覆い隠している。同曲はMTV世代とそれ以上の世代に受け入れられると同時に、彼らに十字架を背負わせることにもなったのかもしれない。バンドは、『クリープ』の大成功から逃れようとして崩壊寸前になった。しかしそうする内に彼らは、クリエイティブな目標を新たに見つけた。『パブロ・ハニー』のリリースから間もなくトム・ヨークは、「セカンド・アルバムは、ファーストよりもずっと良いものになるだろう」とメロディ・メーカー紙に語っている。「ファースト・アルバムは欠陥だらけだった。次はもっと有意義なものになって欲しい。ファーストも好きだが、僕らはあまりにも素人だった。スタジオの使い方すら知らなかったんだ」 彼らはすぐに学んだのだろう。1995年にリリースされた『ザ・ベンズ』以降、モダン・ロックの世界で無敵のクリエイティブな旅路を歩み始めた。

『パブロ・ハニー』のリリースから25年。レディオヘッドのデビュー・アルバムにまつわる、恐らく誰も知らない10の興味深い事実を紹介しよう。

1. アルバム・タイトルは、お笑いコンビ、ザ・ジャーキー・ボーイズのいたずら電話コントから来ている

1990年代初期、テムズバレー出身のオルタナティブ・ロック・バンド、チャプターハウスが、レディオヘッドにいたずら電話のブートレッグ・テープを渡した。テープは、ニューヨークのアングラ・コメディ界に出回っていたものだった。テープを製作したジャーキー・ボーイズは、クイーンズ出身の幼なじみであるジョニー・ブレナンとケイマル・アハメドの2人が組んだお笑いコンビ。彼らはニューヨーク市一帯にいたずら電話を掛け、何も知らないピアノの調律師に「ピアノの中から友だちを助け出してくれないか。彼はロットワイラー犬のような奴なんだ」と依頼したり、見知らぬ人に「私の妻をXXXしてくれ」と言ったり、真面目な受付係と喧嘩したりした。「ネタのいくつかは本当にひどかった」とトム・ヨークは1993年5月、セレクト誌に語った。「受け入れがたいものもあった。でも、電話を掛けて他人を脅かすなんて、90年代っぽいと思った。究極の罰当たりさ。他人の生活に突然割り込んで、やられた方はそれに対して何もできない」

レディオヘッドが特に大笑いしたネタがある。困り果てた被害者の母親を装い、弱々しい声で「パブロ、ハニー? フロリダへ来て欲しいの」と電話を掛ける。バンドは、このセリフをデビュー・アルバムのタイトルに決めた。「すべての母親の息子として、“パブロ・ハニー”が僕らにピッタリだった」とヨークは後にジョークを飛ばした。レディオヘッドはまた、このコントをサンプリングして『ハウ・ドゥ・ユー』のギターソロのバックに組み入れ、雰囲気を聞かせた。ジャーキー・ボーイズは、自分たちが翌年リリースしたプラチナ・アルバム『ザ・ジャーキー・ボーイズ2』のオープニング・トラックに『パブロ・ハニー』のコントを収録している。

2. 『ストップ・ウィスパリング』は、レディオヘッドの前身オン・ア・フライデー時代の楽曲のひとつ

エド・オブライエンはかつて『パブロ・ハニー』を、「未契約バンドの大ヒット曲のコレクション」と皮肉った。事実、アルバムに収録された曲の多くは、レディオヘッドの前身であるオン・ア・フライデー時代のものだった。同バンドは、彼らが通った地元オックスフォードシャーにあるアビングドン・スクール時代に結成されたバンドである。バンド名は、毎週金曜日に集まって練習していたことから名付けられた。メンバーの大学進学などにより活動は長期に渡って中断し、1991年に再開した。同年春バンドはダンジョン・スタジオで、ピクシーズへのトリビュート曲『ストップ・ウィスパリング』を含む3トラックのカセットをレコーディングした。(彼らは後に、“初期のU2風だった”と的を外していたことを認めている。) 1993年にオブライエンは「こそこそ話をやめろ、声を張り上げろ」と歌う同曲について、「自分たちの権利のために立ち上がらない人々へ向けた歌」と表現している。メンバーは同曲を、『パブロ・ハニー』に収録するほど気に入っていたが、1993年10月に米国でシングル・カットする際にレコーディングし直した。「アルバムのバージョンはあまり気に入っていなかった」と、シングル・リリースされた後に行われたクリーム誌のインタビューで、オブライエンは述べている。「僕らはよくわかっていなかったのだと思う。それで、1日半でレコーディングし直したら、より雰囲気が良くなった。70年代後半から80年代初期のジョイ・ディヴィジョンみたいだ」

レディオヘッドは、オン・ア・フライデー時代のストックからさらに『ユー』、『アイ・キャント』、『シンキング・アバウト・ユー』の3曲をピックアップし、アルバム『パブロ・ハニー』に収録している。これらの楽曲のオリジナルは、1991年10月、後にバンドのマネージャーとなるクリス・ハフォードの所有する地元のスタジオ・コートヤードでレコーディングされた。5曲入りのカセットは、オックスフォードのレコードショップ『マニック・ヘッジホッグ』で販売されたため、デモテープは非公式にその店名で呼ばれている。シンプルな自家製ラベルには、子どもっぽい絵が描かれている。エイリアンの頭と隣に“Work Sucks”と書き込まれたイラストは、ヨークが描いたものだった。

Translation by Smokva Tokyo

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