有名ロックスターたちの引退ラッシュ、突然引退を宣言する理由とは何か

ジョーン・バエズもまた、1959年のデビューから約60年間の活動を経て、エンディングを迎えようとしている。「理由の第一は、歌うのが辛くなってきたこと」と、2018年1月、ローリングストーン誌のジョナサン・バーンスタインに語った。「この声帯を維持することがどんなに大変なことか、想像もつかないでしょうね。もう高音域が出せないのよ」と言う。『ラスト・オブ・ザ・ストリート・サバイバーズ』ツアーを発表したレーナード・スキナードは、飛行機事故によりバンドが消滅してから40年が経っている。事故を免れたメンバーの中で、ギタリストのゲイリー・ロッシントンのみがバンドに残っている。自由な鳥よ、大きく羽ばたけ(訳註:レーナード・スキナードの曲『フリー・バード』の歌詞より)。1987年、ソニー・ロリンズは肺線維症により、力強いサックスを置かざるを得なかった。1990年代の『ノー・モア・ツアーズ』で一度引退したオジー・オズボーンが『リタイアメント・サックス・ツアー』で復帰した時、全く誰も驚かなかった。さらにこれから数年間、冗談めかしたタイトルの最新ファイナルツアー『ノー・モア・ツアーズ 2』に出ようとしている。 なぜ今か? もちろん、ここ数年で音楽の世界から多くのレジェンドが去ってしまった。中でも2人の死は大きな影を落とした。プリンスとトム・ペティは、最近引退したほとんどのベテランたちよりも若かった。2人とも何年も体の限界を超えたツアーを続け、同じ鎮痛剤フェンタニルが原因で亡くなった。長年に渡り、プリンスは誰にも真似できないマジックをステージ上で魅せ続けた。彼が悲劇的な死を迎えるまで、彼が自分の体をどれほど酷使していたか誰も知る由もなかった。2017年夏のツアー後、ペティは腰を痛めていることが発覚した。コンサート最終日からわずか一週間後、フェンタニル、オキシコドン、ジェネリック・ザナックスなどの偶発的な過剰摂取で倒れた。2人の死は、ミュージシャンやファンたちへのモーニングコールだった。ヒーローには、あのような形で去ってほしくない。

ツアーに犠牲が伴うことは、周知の事実だ。40年以上前、ロビー・ロバートソンはドキュメンタリー映画『ラスト・ワルツ』の中で「まるであり得ない生き方だ」と言っている。ツアービジネス業界はますますベテランを、死後でさえも、ツアーへ出させようと躍起になっている。エルトン・ジョンは子どもたちに向けて「もしパパが死んでも、パパのホログラムを作って世界中でコンサートなんてしないでくれよ」と冗談交じりに言う。“ショウ・マスト・ゴー・オン”をよく理解するベテラン俳優のエルトンですら、それは自分の天命ではないだろうと思っている。「どうなることやら。子どもたちが無一文になりそうな時は、僕はまたステージに引っ張り出されるんだろうな」

ランディ・ニューマンがこの状況を上手く表現している。「ミュージシャンは立ち止まれない。家では誰も拍手喝采してくれない」

スターが一線を退いても、すぐにスポットライトや大歓声が恋しくなるものだ。「この仕事は世界一素晴らしい」とニール・ダイアモンドは2017年夏、ロサンゼルスの観衆へ向かって語りかけた。「私が歌い、皆が聴いてくれる。歓声が上がれば、私はより一層声を張り上げる。私は歓声が上がる場所ならどこへでも行く」と言うダイアモンドのコンサートへ何度も足を運んだファンは、その美しい歓声の一部でいられたことを喜んだ。ファンは、彼が期待に応えてくれることをわかっていた。2017年夏、数年来のニール・ファンである筆者は、ついに『遥かな誓い』を生で聴くことができた。待った甲斐があった。「私はビーチに座ってのんびりしていたいタイプの人間だが、それはできない」とダイアモンドは2016年、ローリングストーン誌のアンディ・グリーンに語った。「私は荷造り・荷解き中毒なんだ」

これ故、ベテランはどんなに惨めな状態になってもその生活から逃れられないのだ。彼らは歓声の上がる場所ならどこへでも行く。

Translation by Smokva Tokyo

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