ビートルズのインド訪問50周年、あなたが知らない16の歴史的トリビア

1.すべては新聞に載っていた瞑想レッスンの広告から始まった。

1967年2月、ジョージ・ハリソンの妻パティ・ポイドは自身の生活にスピリチュアルな要素を求めていた。そして、彼女は偶然、新聞に載っていた超越瞑想のレッスンの募集広告を発見する。即座にこのSpiritual Regeneration(魂の再生)というムーヴメントへの参加を決めたボイド。後に彼女は夫ハリソンにレッスンの様子を話し、ハリソンも興味を持つようになった。同年8月、ロンドンで開催されたマハリシのレクチャーにハリソン夫妻とビートルズのメンバーたちが参加した。2007年に発売された著書『パティ・ボイド自伝 ワンダフル・トゥデイ』(パティ・ボイド、ペニー・ジュノー著)で、ボイド自身が当時を思い出してこう語っている。「マハリシは私が思い描いていた通りに一寸の隙間がないほど素晴らしくて、全員が魔法にかかったように魅せられてしまった」

このレクチャーに参加した全員は、その後、ウェールズのバンガーで行われた10日間のSpiritual Regeneration ムーヴメント会議に参加した。この時はミック・ジャガーと恋人(当時)のマリアンヌ・フェイスフルも同行している。この会議の最中にビートルズのメンバーはドラッグからの卒業を宣言した。フィリップ・ノーマン著『シャウト!ザ・ビートルズ』には、マッカートニーの「(ドラッグは)僕たちが過去に体験したってだけのこと。もう終わったし、もう必要ない」という発言が引用されている。しかし、この会議のための滞在は最初の予定よりも短いものとなる。彼らのマネージャー、ブライアン・エプスタインの急逝が理由だ。この会議でマハリシはリシーケシにある自分の寺院へビートルズを招待した。この寺院では超越瞑想の指導者を目指す人のための講座を開催していた。


インドのジョン・レノンとポール・マッカートニー(Photo provided by Insight Editions from ’The Beatles in India’ © 2018 Paul Saltzman

2.ドノヴァン、ミア・ファロー、マイク・ラヴもビートルズ同様に寺院に招かれていた。

ビートルズのメンバーと彼らの恋人や妻がインドに到着したのが1968年2月。まずジョージ・ハリソンとジョン・レノンが、後にポール・マッカートニーとリンゴ・スターが着いた。招待されていたのは彼らだけではなく、歌手のドノヴァン、女優のミア・ファロー、ビーチ・ボーイズのマイク・ラヴもいて、彼ら以外にも何人かの西洋人が寺院に滞在していた。その中にアメリカ人ジャズ・フルート奏者のポール・ホーンもいて、ホーンは後にニューヨーク・タイムズ紙で「ニューエイジ音楽の父」と呼ばれるようになる。

さらに、ミア・ファローの兄弟姉妹プルーデンス・ファローとジョン・ファロー、資産家の娘で初期の超越瞑想を西洋社会で提唱したナンシー・クック・デ・エレーラ、アメリカ人俳優で『ボナンザ』や 『ガンスモーク』などのテレビシリーズに出演していたティム・シムコックス(シンシア・レノンが2005年の著書『ジョン・レノンに恋して』で、ジョン・レノンがシムコックスとシンシアの浮気を責め立てたと回想している)、パティ・ボイドの姉妹で後にドラマーのミック・フリートウッドマックの妻になるモデルのジェニー・ボイド、唯一参加を許されたジャーナリストでサンデイ・イブニング・ポスト紙にレポートを送っていたルイス・ラップハム、キャバーン・クラブ時代からビートルズのローディー兼パーソナル・アシスタントを務めていたマル・エヴァンス、ギリシャ人投資家でアップル・コア社の従業員だったアレクシス“マジック・アレックス”マーダス、そしてフォトグラファーのサルツマン。

後にサルツマンがこんな風に記述している。「ビートルスが僧院で過ごした数週間は奇妙なほど穏やかで、彼らにとっては創造のオアシスとなった。瞑想、ベジタリアン食、ヒマラヤ山麓の丘の優しげな美しさ。追いかけてくるファンも、プレスも、急かすスケジュールもない。この自由の中で、ほんの束の間の時間で彼らが作った音楽は、それまでの輝かしいキャリアのどの時期よりも素晴らしいものだった」

Translated by Miki Nakayama

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE