37年前に水死したナタリー・ウッド、当時の夫が重要参考人に浮上

ナタリア・ザカレンコとしてサンフランシスコで生まれたナタリー・ウッドは、子供の頃から演技を始め、8歳で出演したクリスマス映画『三十四丁目の奇跡』での演技が絶賛された。映画作品やテレビ番組での端役をいつくか務めた後、10代に成長したウッドは1955年、ジェイムズ・ディーン主演の『理由なき反抗』で純情な少女ジュディを演じ、アカデミー賞最優秀助演女優賞にノミネートされる。20代になったウッドは、ミュージカル映画『ウエスト・サイド物語』と『ジプシー』で歌唱力とダンスの実力を披露。表舞台から少しの間姿を消した後、映画『草原の輝き』と『マンハッタン物語』でアカデミー賞最優秀主演女優にノミネートされた。

ウッドは子役を始めた頃からワグナーと顔馴染みで、10歳の頃にはスタジオでよく会う8歳年上のワグナーに恋心を抱くようになっていた。「母に言ったの、『彼と結婚するわ』って」と1976年にウッドはピープル誌に語っている。その後、彼女はワグナーと結婚する――2回も。

彼らのロマンスの始まりは明らかにハリウッドの古い因習に則ったものだった。ウッドが18歳になったとき、当時の20世紀フォックスの重役が宣伝目的で作ったカップルが彼らの始まりなのだ。その頃、人気急上昇中の俳優ワグナーの恋人としてウッドは完璧だった。彼らの最初の結婚は1957年。その5年後に離婚。そして1962年、2人とも別の伴侶を得て子供をもうけた。ウッドの2番目の夫はイギリス人プロデューサーのロバート・グレッグソンで、娘ナターシャの誕生直後の1971年に離婚している。

そして、この離婚からたった3カ月後の1972年、ウッドは再びワグナーと腕を組んでバージンロードを歩くのである。再婚後に娘コートニーが誕生し、2度目の夫婦生活を幸せに送っているように見えたのだが、この幸せはウッドの突然の死で終わりを告げた。

果たして2人は本当に幸せだったのだろうか? 2011年11月、ヨットの船長だったデニス・デヴァーンが、当時の偽証を告白したことがきっかけで再捜査が開始された。あの運命の夜、ウッドが失踪する直前に彼女はワグナーと激しい口論をしていたことを捜査官に隠していたと、デヴァーンが認めたのである。デヴァーンによると、ワグナーはコーヒーテーブルにワインボトルを打ち付けて割り、それを見たウォーケンは自室に逃げ帰った。その後も2人のケンカが続いたのでデヴァーンが仲裁に入ろうとしたとき、ワグナーに「出て行け!」と命令されたという。そして、その後すぐにウッドの姿が突然消えた。だが、夫のワグナーはさほど心配している様子ではなかったとデヴァーンが証言している。

Translated by Miki Nakayama

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