マーク・ハミルが明かすルーク・スカイウォーカーの実像

ー「あの巨大な犬のガラクタは何だ?」っていう、あの状況とは正反対だったようですね。

MH そのとおりだね。音声担当のスタッフと特に親しくなったんだけど、彼にはよく笑わせてもらったよ。(ブリティッシュ・アクセントで)「オルデランに行くんだ、俺たち全員でな」っていうセリフをやたら繰り返してたんだけど、本番で彼に目をやるとなぜか目をグルッと回すんだよ。それが可笑しくてさ。彼はこんな冗談も言ってた。「仕事にありつけるのはありがたいよ。でもこれが子ども向けの映画だってことはみんな知ってるだろ? これは早い時間にしか放映されない、子供騙しの駄作さ」。それで僕はこう言ってやったんだ。「そんなことじゃ『フラッシュ・ゴードン』を超えることはできないぞ」って。

でもこのアメリカならではの折衷感を、彼らが理解できないのも無理はないからね。あまり乱暴な言い方はしない方がいいことは分かってるんだけど。ジョージは70年代の初めくらいからずっとイメージを膨らませていただろうから、その分ディテールへのこだわりも強かったはずなんだ。正直に言うと、僕だってライトセーバーを初めて目にしたときはがっくりきた。なんだかちゃちで、イメージと違うなって思ったんだ。ジョージが経験した失望は僕とは比較にならなかったと思う。彼はクールでゴージャスなものをイメージしていたに違いないけど、予算が限られていたせいで、現場ではセロテープと糊でくっつけられた学芸会の小道具みたいな代物を使わなきゃいけなかった。シーンを撮り終えるたびに、彼が深いため息をつくのを見て胸が痛んだよ。今でも製作の裏側を描いたドキュメンタリーを観るたびに、撮影の合間に彼を励ましていたことを思い出すんだ。それを抜きにしても、当時の彼は元気がなかった。当時の妻のマルシアは奔放な女性で、金遣いも荒いし、夜な夜な遊び歩いてゴシップを振りまくし、ジョージとは正反対の人間だったんだ。ジョージはゴシップのネタにされるのが嫌いで、タバコも吸わないし、クラブなんか絶対に行かなかったから。彼のことを心配してた僕らは彼女にも相談したんだけど、「彼はそういう人間なの、気にしなくていいわ」の一点張りだった。

RJ 物語における極めて重要なアイテムでも、当時はセロテープで何とかしなくちゃいけなかったわけだ。今は進化したテクノロジーのおかげで何だって形にできるけど、逆に現場でのそういう切羽詰まった感覚は希薄かもしれないね。


『スター・ウォーズ: 最後のジェダイ』でのデイジー・リドリーとマーク・ハミル(Photo by Jonathan Oile)

MH 
不思議だよね。あの映画があれほどの成功を収めると予想してたかって聞かれるたびに、僕は「まぁね、思った以上だったけど」って答えてた。でも、ユーモアと皮肉がたっぷりのSF作品というだけで、僕のモチベーションは十分だったんだ。僕が好きな『2001年宇宙の旅』は、すごくシリアスで考えさせられるけど、笑いの要素は皆無だ。でも『スター・ウォーズ』には、インテリジェントなユーモアがある。第二次世界大戦ものや西部劇もの、それに海賊ものの映画に通じるようなね。でもあの作品の成功をほぼ確信したのは、ジョン・ウィリアムズのテーマ曲を聴いたときだった。ジョージと同じくらい、彼の功績は大きいと思う。

アートディレクションにも興奮したね。SF映画にありがちな安っぽい近未来のセットとは無縁の、寂れた物悲しい砂漠が舞台だったからさ。登場人物からオイルのしたたりに至るまで、何もかもがすごくリアルに感じられた。僕が履いてたジーンズは、ケミカルウォッシュを施してポケットを引き剥がし、タグを取り払ったリーバイスだった。それだけでもすごくリアルに感じたもんさ。今は何から何まで特注だけどね。あの頃は作品が大ヒットするかどうかなんて、それほど重要じゃないと思ってた。それでも、自分がすごく特別な作品の一部を担っているっていう確信だけはあったよ。


Translated by Masaaki Yoshida

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