クランベリーズのプロデューサー、ドロレス・オリオーダンとの思い出を語る

ステファン・ストリートの追悼文の全文は以下の通りだ。

僕がドロレスと初めて会ったのは、彼女がやっと10代を抜け出した頃で、ロンドンのクラブ、マーキーでのクランベリーズのライブを行った時だった。彼らのデビュー・アルバムのプロデュースをアイランド・レコードから打診され、彼らのライブを観に行くことになったのである。

ドロレスは見るからに緊張していた。ライブ中、彼女はほとんど横向きで歌い、観客の目をまっすぐに見ることができなったのだ。しかし、僕は彼女の歌に何か特別なものを感じて、彼らと一緒にスタジオに入って、何が出来上がるのかを見守ることにした。

そうやって生まれたものがアルバム『ドリームス』(原題:Everybody Else Is Doing It, Why Can’t We)と、それ続くシングル曲「ドリームス」と「リンガー」だった。レコードを作っている間、ドロレスも他のメンバーも自信が大きくなっているのが僕の目にも明らかだったが、アルバムのリリースから9カ月後にこの目で見ることになるドロレスの劇的な変化の片鱗は、この時点ではひとつたりとも見出だせなかった。9カ月後とは、アメリカとヨーロッパをノンストップでツアーした後のことだ。

怯えた“壁の花”だったドロレスは消え去り、覚悟を決めた力強いフロント・パーソンがそこにいた。彼女は観客の目を見据え、「私を見て、私の歌を聞いて」と言えるようになっていた。この劇的な変化は“驚異的”という言葉では表せないほどだった。

ドロレスは魂を削るほどの熱量でライブを行い、それはその後10年以上続いた。もしかしたら彼女は日頃から節制して、ちゃんと計算してやっていた可能性もあるが、僕の知る彼女はそんなタイプではなかった。彼女はみんなに用心を促す小さな扇動者だった。スタジオでのセッション中、彼女のボーカル・パフォーマンスが曲とぴったり合うと、そのセッションは燃え盛る火のような光を放った。

もう彼女はこの世にいない……家族と友だちを残して逝ってしまった。

とりわけクランベリーズで彼女と一緒だった“特別な”3人の仲間たち。彼らは世界中で大成功を収められるだけの努力と苦労を厭わずに頑張ったバンドだ。

僕の心は彼女の家族、ノエル、マイク、ファーガルと共にある。彼女と知り合い、彼女と一緒に時間を過ごした僕たちは全員、彼女からたくさんの贈り物をもらった。

安らかに眠ってくれ、僕のアイリッシュ・ソングバード。

2018年1月15日 ロンドンにて
ステファン・ストリート

Translated by Miki Nakayama

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE