賛否両論の『最後のジェダイ』、監督の作家性とSWの関係



『LOOPER/ルーパー』撮影現場でのジョンソン(左)とジョセフ・ゴードン=レヴィット(Everett Collection)

しかし2012年に発表された『LOOPER/ルーパー』で、ジョンソンは今度こそ、その評価を確固たるものにする。殺し屋、超能力を持った少年、タイムトラベル、自己破壊願望、豪快に火を噴くラッパ銃等、同作はSF映画らしいテーマに満ちていながらも、近年の映画には見られない新鮮な魅力を備えていた。過剰な演出やトリックを排除し、登場人物の内面にフォーカスするという点でも、同作はありきたりなSF作品とは完全に一線を画していた。またジョンソンが同時期に手がけた『ブレイキング・バッド』の『かなわぬ最期』と『オジマンディアス』の2エピソードは、同シリーズにおけるハイライトとの呼び声も高い。前者はファンの間では賛否両論を呼んだが、両エピソードとも同シリーズの全体像と完全にシンクロした見事な出来だった。またヴィジュアル、展開、ストーリーのすべてにおいて優れた両エピソードには、自主制作かと思わせるような親密さがあった。

先日公開されたVultureのインタビューで、ジョンソンはルーカスフィルムのキャスリーン・ケネディから続三部作の2作目の指揮を執ってほしいと依頼されたとき、当時進めていたプロジェクトで問題を抱えていたことを明かしている。それでも彼が即答しなかったのは、『スター・ウォーズ』の監督として自分ができることに懐疑的だったからではなく、自分が『スター・ウォーズ』を手がける意味について考える必要があったためだった。同作のファンとしてもちろん興味はあったものの、彼が決意したのはJ・J・エイブラムスがロンドンで撮影を進めていた『フォースの覚醒』の撮影現場に立ち会ったときだったという。また脚本を自身が手がけることを許された点も、彼の決断を強く後押しした。「何と言っても『スター・ウォーズ』だからね、責任の重大さは自覚していたよ」。その決断についてジョンソンはそう語っている。「でも過去に自分が手掛けた作品と同じように、パーソナルなものとして受け止めてもいたんだ」

今作を観れば、彼が“パーソナル”という表現を使った理由は明らかだ。ヒーローが繰り広げる冒険とB級映画的なコンセプト、そして興奮をもたらすスピード感を融合させたジョージ・ルーカスによるオリジナル作も、結局はいち個人の想像力と嗜好性の産物に過ぎなかったという声もあるに違いないが、それは『スター・ウォーズ』がSF映画のテンプレートとして、ポップカルチャーの象徴となる以前の話だ。万人受けを信条とするエイブラムスでさえ、その作品には自身の内面が反映されているという見方もあるだろう。しかしプロジェクトが大きければ大きいほど、そこに個人的な見解を持ち込むことは困難になる。実際に『スター・ウォーズ』は、これまでに自身のオリジナリティの投影を試みた監督たちを何度も降板させている。

Translated by Masaaki Yoshida

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