世界を制したエド・シーランの「現実」と付き合う方法

4月に来日するエド・シーラン。ローリングストーン誌 2017年3月23日号のカバーストーリーにて( Photograph by Peggy Sirota)


彼らには自宅に戻る選択肢もあったが、自宅には戻らずに、半年予定していた旅行を続行した。後で分かったのだが、シーランにはしばらくポップスターである自分を忘れる時間が何よりも必要だったのだ。

しつこいぐらいに陽気なのがシーランのデフォルトの状態だ。しかし、時折「スパイラルに陥る」と彼自身も認めている。これが2013年に起きた。テイラー・スウィフトのオープニングアクトに選ばれ、ツアーの拠点であるナッシュビルに移ったときのことだ。「世界で一番素晴らしいツアーに参加していた」とシーラン。「ただ、俺は自分の居場所がない国の、知り合いがいない町に住んでいたんだ」

そして、彼は酒を飲み始めた。それも浴びるように。彼と一緒に曲作りすることの多いジョニー・マクデイドは、2015年のハリウッドのショーでシーランに会ったときに心配になったと言う。「彼はとにかく、イケイケどんどん状態。そんな彼を座らせて、『なあ、お前、世界中のあらゆる楽しみを経験してほしいとは思うよ。でもな、限界を超えて正気がプツンと切れてしまったら、そこから復活するのにものすごく時間がかかるってことを覚えておいてくれ』と言ってしまったよ」

Twitterに寄せられたたった一つのコメントで彼の1日が台無しなることもある。「オンラインでみんな『エドはハゲる』って言う。俺はハゲないよ。でも前はハゲるって思い込んでいた。赤毛でも丈夫な毛だし、俺の髪の毛には何の問題もない。それにあの頃の俺はけっこう太っていたからね」と、当時の体重のことまで言及して続ける。「だから、その前まで全然気にしていなかった2つのことがコンプレックスになったって感じだったよ」

また、シーランは友だちも失った。「あれはフォーブスが発表したリストが原因さ」。これは同誌に掲載された、彼が2015年の1年間に推定5700万ドル稼いだとする記事のことだ。「車の写真を添付して『誕生日はこれが欲しいな。値段は君の年収のたった0.6%だよ』みたいなメールが届くようになったんだ」(最終的に彼は電話を捨てた。普段のコミュニケーションに使っているのはiPadで、家族との連絡は折りたたみ式携帯電話だ)

2016年にグラミー賞の授賞式に出席し、最優秀楽曲賞を受賞した後、シーランはアフターパーティを欠席して、アイスランド行きの飛行機に乗った。彼の両足が完治すると、二人は1か月かけて北海道から沖縄まで、日本国内の田舎を旅した。その旅での彼は一般人として、彼の言葉を借りると「奇妙な食べ物を食べ、温泉につかり、スキーをした」のである。

シーランは禁煙し、酒量も減らした。6月にガーナ系イギリス人シンガーのフーズODGの招待で、ガーナで3週間過ごすこととなった。フーズの自宅で作業を行ううち、シーランはアフリカ音楽の影響をにじませた楽曲を書き始めたのである。「1曲完成すると必ずお祝いのパーティを開く」とシーラン。「フーズは200人以上を招いて、出来上がった曲を祝いながら未明までパーティするんだよ」

そうやって祝福された完成曲のうち、アルバム『÷』に収録されたのは「ビビア・べ・ィエ・ィエ」だけだが、ガーナ滞在時に感じた自由はその後も彼の内側に残った。2014年リリースの前作『✕(マルティプライ)』では元カノたちとのつらい別れがテーマだったが、『÷』には「ハピヤー」のような曲が収録されている。この曲は元カノと彼女のボーイフレンドに偶然出くわしたある結婚式の後に書かれた。シーランはこの男をいつも恨んでいたのだ。「そいつは本当に穏やかなヤツでね」と言ってシーランは続けた。「思ったよ、『そうだよな、人生はこういうものなんだよな』って」

Translated by Miki Nakayama

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