エリック・クラプトンが語る、薬物依存、クリーム時代、ギターの未来

ー 昨日、ドキュメンタリー映画を再びご覧になったと思いますが、このように自分の人生を振り返るのはいかがですか?

編集室で最初に観たときほど悪くないと思った。自分でもよく覚えていないんだが、自分にとって最悪な時代のとあるシーンがあって、ステージ上で外国人に対する暴言を吐いているんだ(76年、イングランド・バーミンガムでのコンサート)。酔っぱらいの戯言だった。

ー 監督のリリーにそのシーンをカットするように依頼したのですか?

ドラッグとアルコールの影響でできてしまった人間と、自分は向き合わなければならない。そんな状態になっていたことは僕自身にもあまり理解できていないし、僕に「やめろ」という人間もいなかった。たぶん僕は周りに対してとても威圧的だったんだろう。周囲の人たちは、倍返しが怖くてその頃の僕に忠告できなかったと言っている。

唯一、当時のマネージャーだったロジャー・フォレスターだけは「君は問題を抱えている」と言ってくれた。彼の言っていることが正しいと分かったので、僕は彼に電話で相談した。彼は荷造りを手伝ってくれて、僕をハゼルデン(リハビリ施設)へ送り込んだ。入所の書類に、自分にとって重要な他者を記入する欄があった。通常は家族や、僕の場合は結婚していたので妻の名を記入すべきところだが、僕はフォレスターの名前を記入した。唯一彼だけが僕に忠告し、“NO”と言ってくれる人間だったからね。

ー ドキュメンタリーの前半は、あなたがミュージシャンになるまでの過程が描かれています。後半では、妄想的な恋愛感情、ドラッグ、アルコール、息子さんの死など、事あるごとに音楽があなた自身を救ったことがわかります。どん底に陥ったときにはいつでも、傍らにギターがありました。

もう一点付け加えるとすれば、音楽を聴くことは、音楽を演奏できるようになることと同じくらい大切だった。これまでの人生を通じて、自分を助けてくれた新旧さまざまな曲があった。上手く演奏できない時や、まったく演奏していない時期でも、それらの曲があったからこそ乗り越えることができた。例えば、マリア・カラスの歌や、デルタ・ブルーズマンのトミー・マクレナンの演奏などがそうだった。ドラッグ漬けになっていた70年代初め、特に心を揺さぶる音楽は、何を聴いても涙が出てきた。カルーセルの音楽は、今聴いても胸が熱くなる。

ー ディランがテレビで、ジョン・メイオールと演奏するあなたを観ているシーンは、あなたの人生に起きた驚くべき偶然のひとつだと思います。あなたは、カルチャーの力が交差した歴史的な60年代を生きてきました。そしてあなたは自身の才能をもってその流れに関わってきました。

いい時代だった。監督のリリーと僕は今日、60年代から70年代の初めは自由な時代だったな、とあらためて感じていたところだ。何が成功で何が失敗かなんて意識のない時代だった。何でも試してみて、ただ演奏し続ければよかった。そして誰が来ても受け入れていた。オープンな時代さ。

90年代に入る頃は、音楽業界の競争の高まりに戸惑った。バンドはそれぞれが激しく競い合い、批判し合っていた。ライバルよりも売れるためだけにレコードを製作した。質問にあった60年代は何でも起こりうる時代で、成功するかしないかは気にしなかった。

Translated by Smokva Tokyo

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