ニュー・バーバリアンズ:ワイルドな70年代を飾るストーンズのスピンオフ・バンド

ローリング・ストーンズのロニー・ウッドとキース・リチャーズによるスピンオフ・バンド、ニュー・バーバリアンズの活動を描いたドキュメンタリー本が出版された。 Henry Diltz

ロニー・ウッドとキース・リチャーズによる短命に終わったサイド・プロジェクトの貴重なライヴ音源と、新たなドキュメンタリー本。

ロニー・ウッドはソロ・アルバムのリリースに合わせてバンドを結成し、キース・リチャーズのほか、フュージョン・ベーシストのスタンリー・クラークらが参加した。バンドは一連のアリーナ・ライヴを行ったが、リチャーズではなくあくまでもウッドと彼のソロ曲がメインだった。その時代のことを記憶している人がいるだろうか? 

ザ・ローリング・ストーンズのマニアックなファンでもない限り、このバンドのことは知らないだろう。ロブ・チャップマンの新著『New Barbarians: Outlaws, Gunslingers and Guitars』(Voyageur Press)でついに、一瞬で駆け抜けたストーンズの歴史上最も奇抜な瞬間が語られることとなった。

アート満載のチャップマンの著作によると、ウッドと当時の彼のレーベルであるコロムビア・レコードは、1979年にリリースされたウッドのソロ・アルバム『ギミ・サム・ネック』のプロモーションのため、何本かのライヴを行うことを決めた。ストーンズのセッションの合間だったリチャーズは、バンド仲間の一時的なプロジェクトに参加することを決めた。

その頃ちょうど、リチャーズもツアーへ出たいと思っていたところだった。チャップマンによると、彼は1977年のカナダでの逮捕をきっかけに「ヘロインから抜け出そうとしている最中で、当時のガール・フレンドのアニタ・パレンバーグや、終わりの見えない精神療法からも逃げ出したいと思っていた」という。バンドには、ストーンズの2人のほか、フェイセズのキーボーディスト、イアン・マクレガン、ストーンズの歴史の中に現れては消えるサックスマン、ボビー・キーズ、ベースのスタンリー・クラーク、ザ・ミーターズのドラマーでそれまでロックン・ロールをほとんど演奏したことのないジギー・モデリストという、そうそうたるメンバーが名を連ねていた。



バンドがツアーのためのリハーサルを始めた頃、ニール・ヤングも顔を出し、メンバーに加わる話もあったという。しかし、自分の子どもの誕生や、リリースを控えた自身のライヴ映画『ラスト・ネヴァー・スリープス』の編集作業などで忙しく、結局参加を断念した。この時ヤングが「君たちはまるで野蛮人(バーバリアン)の集団だな」と言ったことから、バンド名が“バーバリアンズ”となったという。その後、同名のバンドが存在することが判明し、頭に“ニュー”を付けた。リハーサルにはリンゴ・スターやボズ・スキャッグスなども顔を出したが、ヤング同様バンドには参加しなかった。

ニュー・バーバリアンズは約1カ月間のツアーの集大成として、レッド・ツェッペリン、サウスサイド・ジョニー&ジ・アズベリー・ジュークス、トッド・ラングレン、ユートピアらと共にイギリスで開催されたネブワース・フェスティバルに出演し、ロックン・ロールの歴史を凝縮したステージを披露した。ドラック、アルコール、プライベート・ジェットはお決まりのコースで、ステージ裏には小部屋が造られ、バンドはオーディエンスに知られることなくハイになることができた。クラークがリチャーズにただのグリーン・スムージーを勧めた時、リチャーズは「スタンリー、スタンリー…」と悲しげな声を上げたという。

Translation by Smokva Tokyo

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