ドアーズ『ハートに火をつけて』:知られざる10の事実

10.モリソンを除くドアーズの3人は、ビュイックの広告が『ハートに火をつけて』を使用することを独断で許可し、その事実を知ったモリソンはステージ上でビュイックを破壊すると脅した

1968年9月20日、ヨーロッパツアーの最終公演となったスウェーデンでのライブを終えた後、モリソンはガールフレンドのパメラ・カーソンと共にロンドンに滞在し、作家のマイケル・マクルーアに促された詩の制作に取り組むことにした。しかし彼が他の3人に滞在先を知らせていなかったことが、後に波紋を呼ぶことになる。モリソンがロンドンに滞在している間、ビュイックが『ハートに火をつけて』の広告使用料として、バンド側に75,000ドルをオファーした。その広告には「Come on Buick, light my fire!」というキャッチコピーが使われることになっていた。

「俺は面白いアイディアだと思った」パトリシア・バトラーとジェリー・ホプキンスの著書『Angels Dance and Angels Die: The Tragic Romance of Pamela and Jim Morrison』で、マンザレクはそう語っている。「the Opelはビュイックがドイツのオペル社と共同開発した4シリンダー2シートの小型車で、排気も少ないエコな車だった。ビュイックの典型的な大型車とはかけ離れていた」(宣伝対象だった車はthe Opelではなく、エコとは程遠いGS455だったという説もある)

利益をメンバー間で均等に分配していたドアーズは、重要事項の決定にはメンバー全員の同意を得ることにしていたが、当時モリソンとは連絡がつかない状況にあり、バンドは返答を急がなくてはならなかった。「ジムはただ忽然と姿を消した。どこにどのくらい滞在するのか、いつ戻ってくるのか、我々は何一つ知らされていなかった」バンドのツアーマネージャーを務めていたビル・シドンズは、バトラーとホプキンスにそう語っている。「そんな時に舞い込んできたビュイックのオファーは、彼らが過去に手にしたことのないような額だった。あの曲の大部分を書いたロビーと他の2人は前向きで、こう話してた。『ジムの意見を聞くべきところだが、断るにはあまりに惜しい額だ。バンドにとっても悪い話だとは思えないし、もう受けてしまおう』バンドが雇っていた弁護士のマックス・フィンクはモリソンの代理人の了承を得て、契約書にはドアーズのメンバー全員の名前が記された。

11月に帰国したモリソンは、その事実を知って怒り狂った。「ジムはもう俺たちのことを一切信用しないと言った」2013年にデンズモアはローリングストーン誌にそう語っている。「俺たちは自分たちの曲を企業の宣伝には使わせないと決めていたが、ビュイックのオファーはあまりに魅力的だった。ジムは俺たちが悪魔に魂を売ったと非難し、もし(歌詞を変更した)曲を使わせるのなら、ステージ上でビュイックを破壊すると言って聞かなかった」

一説によると、サンセット・ストリップに駐車していた16台のビュイックに、モリソンは自身が運転するポルシェを次々とぶつけ、愛車を廃車にしてしまったという。真偽のほどは定かではないが、モリソンはシドンズとホルツマンを含むバンドの関係者たちの前で不満をあらわにし、契約の破棄を要求した。「話を白紙に戻すことはできない状況だった。既に契約書にサインしてしまっていたからだ」シドンズはそう話す。ラジオ、テレビ、雑誌広告、そしてドアーズの事務所からも見える巨大な看板まで、あらゆるメディアでキャンペーンの準備が進められていた。

しかしその広告が世に出ることはなかった。そのコンセプトを破棄した理由について、ビュイックはマーケティング戦略上の方向転換としているが、モリソンのあからさまな抵抗が影響していたことはまず間違いない。真実がどうであれ、その一件はバンドの絆に決定的なダメージを与えた。「あの一件が夢を終わらせてしまった」シドンズはそう語る。「あの事件はジムと他の3人との間に埋められない溝を生み、それ以来バンドはビジネスでしかなくなってしまった。ジムがこう口にしたのをはっきりと覚えている。『俺は仲間を失った。残されたのはビジネスパートナーだけだ』」

ロサンゼルスで開催された『ハートに火をつけて』の50周年記念セレモニーの様子



Translation by Masaaki Yoshida

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