2パック、ヒップホップ史を塗り替えた8つの革命


4. 強姦罪で収監される直前に、ラッパーとして初めて「シャバとのお別れアルバム」を制作した

シャクール収監後の5月に発表された『ミー・アゲインスト・ザ・ワールド』を、彼のディスコグラフィーにおいて最もエモーショナルな作品だとする声は多い。同作には母親のアフェニ・シャクールへの慕情を歌った『ディア・ママ』、自身の罪深い人生に思いを巡らす『ロード・ノウズ』等が収録されている。「自分自身を持て余すんだ / 明日はムショの中か、それとも自由の身か」 と歌う『イット・エイント・イージー』、ヒーローと崇めるラップスターたちへの屈折したトリビュート『オールド・スクール』、そして彼を訴えた女性に対する怒りを爆発させる『アウトロー』など、同作で彼はパーソナルな部分を曝け出した。自責の念、後悔、自殺願望、そして命を尊ぶ思いは、リル・キムの『ネイキッド・トゥルース』、T.I.の『ペーパー・トレイル』、C・マーダーの『ザ・トゥルーエスト・シット・アイヴ・エヴァー・セッド』等、俗に「シャバとのお別れアルバム」と呼ばれる作品のコンセプトを確立した。

5. 絶大な人気を誇りながらも「アメリカで最も危険なレーベル」と呼ばれたデス・ロウと契約し、ヒップホップ史上初の2枚組アルバムを発表した

1996年作『オール・アイズ・オン・ミー』は、ストレートなギャングスタ・チューン、豪華なゲスト陣、そしてキャッチーなサンプリング(一般的なイメージに反し、Gファンクのプロデューサーたちは東海岸のライバルたちと同じくサンプリングを多用した)等によって大ヒットを記録した。合計1000万枚以上を売り上げ、ダイヤモンドディスクに認定された作品を「過小評価」されているとする声には首を傾げたくなるかもしれないが、『アンビションズ・アズ・ア・リーダー』や『ハーツ・オブ・メン』といったリード曲が期待したほどの爆発的ヒットとならなかったことが、アルバムの評価を大きく左右した。しかし同作は、ノトーリアス・B.I.G.の『ライフ・アフター・デス』、ウータン・クランの『ウータン・フォーエバー』、E-40の『ザ・エレメント・オブ・サプライズ』、最近ではジェイ・Zの『ブループリント 2:ザ・ギフト・アンド・ザ・カース』等、現在でこそ一般的となった2枚組ラップアルバムの先駆けとなった。

6. 死後も生存説が絶えなかった

1996年に発表された『ザ・ドン・キラミナティ:ザ・セヴン・デイ・セオリー』は、ラスべガスでの銃撃により死去した2パックの生存説に信憑性を持たせた。500年前に『君主論』を残した政治思想家ニッコロ・マキャベリにならい、2パックが敵の襲撃を交わすためにマキャベリという偽名を使っていたとする説は、ファンの間で広く知られている。『ザ・セヴン・デイ・セオリー』というタイトルは、マキャベリが死んだとして7日間にわたって敵を欺いた事例にちなんでおり、シャクールの死は銃撃から6日後に報じられている。しかし、シャクールがどこかの離島で優雅な隠遁生活を送っているとする説を信じる人はそう多くないだろう。2パックほど死後も無数の伝説を生み出したラッパーは存在しない。

7. 1997年11月初旬に発表された『アー・ユー・スティル・ダウン?(リメンバー・ミー)』で、生前に残された楽曲でアルバムが発表された初のラッパーとなった

パッツィー・クライン、ジョン・コルトレーン、ジミ・ヘンドリックス等が同様の作品を先駆けて残しているものの、ヒップホップの世界においては2パックが初のケースとなった。ノトーリアス・B.I.G.(ボーン・アゲイン)、ビッグ・パン(エンデンジャード・スピーシーズ)、ビッグ・L(ザ・ビッグ・ピクチャー)、そしてJ・ディラ(ジェイ・ステイ・ペイド)まで、早すぎる死を迎えたラッパーたちの生前の作品が世に送り出されるケースは、「トゥパック・エフェクト」が生み出したものだと言っていい。

8. 膨大な量の作品を残した

リル・ウェインがミックステープ『Drought and Dedication 』でインターネットを席巻し、リル・Bが「1000曲作るまではただのアマチュア」と発言するはるか昔に、シャクールがデス・ロウに残した無数の楽曲は世にばら撒かれた。トゥパックの生存説を加速させたブートレグの出処は、彼の作品の権利を巡るアフェニ・シャクールとの訴訟の末に収監されていたシュグ・ナイトだと考えられていた。1998年9月号の表紙で「トゥパックに対するレイプ行為」と非難したRap Pagesは、ヘッドラインをこう飾った「13枚におよぶブートレグのアルバムが流出。出処はデス・ロウか?」その出処がどこであれ、死後に無数の未発表曲が出回ることになったこのケースは、世間が振り向くまでひたすら曲を発表し続けるという、今日のリル・ウェインやグッチ・メインが実践するマーケティング手法の先駆けとなった。


Translation by Masaaki Yoshida

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