ビースティー・ボーイズのマイク・Dが現在を語る:サーフィンの美学、MCAへの思い

これまでに放送された9つのエピソードで、彼はD.R.A.M.とポストパンクのカルトヒーローESG、そしてリアーナとシスター・ナンシーをミックスする等、ジャンルも時代も超越した独自のセンスを発揮している。またデヴ・ハインズ、コメディアンのジェロッド・カーマイケル、プロサーファーのステファニー・ギルモア等をゲストに迎え、それぞれが曲にまつわるエピソードと共にお気に入りの音楽を紹介している。同番組にはダイヤモンドの膨大なレコードコレクションと、子供の頃から変わらない刺激的なサウンドへの探究心が反映されている。「13歳の頃に、せっせと小遣いを貯めてはレコードを買いに走ってた頃を思い出すよ」彼はそう話す。「ソーシャルメディア全盛の現代でも、俺がやってることって昔からほとんど変わってないんだ」昔の音楽は良かったとノスタルジーに耽ることは、彼のポリシーに反するようだ。「初回エピソードはここでエズラ・クーニグと録ったんだけど、2人で卓球を楽しんだ後、お互いが気に入っている曲を紹介し合ったんだ。彼にリル・ヨッティの『ミネソタ』を教えてもらったよ」すっかり気に入ったダイヤモンドは、番組で同曲をプレイしている。

「たとえこの世にいなくても、ヤウクは今も俺の中で生きてる」- マイク・ダイヤモンド

ビースティー・ボーイズはジャンルを超越したアーティストだった。ハードコアパンクのバンドとして活動をスタートさせ、インテリジェントなラップスターをという地位を確立し、初のワールドツアーをマドンナと共に行った。彼らは80年代のニューヨークを象徴する存在だった。「想像力を刺激してくれる街は世界中にたくさんある」ダイヤモンドはそう話す。「それでも、確固たるアイデンティティを持った異なる音楽がぶつかり合うような状況は、当時のニューヨークにしかなかった。ヒップホップ、パンク、ハードコア、ジャズ、まさに何でもござれだったんだ」

ダイヤモンドとアダム・ホロヴィッツは現在、ビースティー・ボーイズの回顧録を制作中だと言われている。ダイヤモンドはその内容について多くを語ろうとしないが、当時のニューヨークのムードを反映した型破りなものになるはずだという。「ニューヨークの歴史は俺たちの物語そのものなんだ」彼はそう話す。

今でこそマリブで平穏な生活を送っているが、過去数年は多くの悲しみが彼を襲った。10代の頃にダイヤモンドとホロヴィッツと共にビースティーズを結成したアダム・ヤウクが、2012年に癌でこの世を去ったことがそのひとつであることは言うまでもない。「俺がヤウクのことを考える時、その姿はいつだって元気だった頃の彼なんだよ」ダイヤモンドはそう話す。「俺にとって、彼は実の兄のような存在だった。多くの時間を共に過ごし、いいことも悪いことも全部共有した」ダイヤモンドは今でも課題に直面するたびに、背中を押してくれるヤウクの姿を思い浮かべるという。「ラジオで番組を手がけることになって、俺が自分の価値観を押し広げようとしていた時も、浮かんだのは『それでいいんだ』って言ってくれるヤウクの姿だった」

Translation by Masaaki Yoshida

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