ガンズ・アンド・ローゼズ『ユーズ・ユア・イリュージョン I &Ⅱ』:ロック史における金字塔の制作秘話

バンドとしての絆が崩壊に向かう中、世界を揺るがした『ユーズ・ユア・イリュージョン I &Ⅱ』その誕生秘話とは(Photo by Kevin Mazur/WireImage)


『ライズ』のリリースから数ヶ月後の1990年1月、ガンズ・アンド・ローゼズはセカンドアルバムの完成に向けて本格的に動き始めた。1988年に原型が生まれ、後にルーマニアの孤児たちの支援を目的としたコンピレーションに収録された『シヴィル・ウォー』のアレンジに着手するも、ほどなくしてバンドはアドラーの薬物依存の問題と直面する。ヘロインに依存していたアドラーは、当時まともにドラムを叩くことができない状況だったという。「スラッシュにこう言ったんだ。『気分が悪くて、とてもドラムなんて叩ける状況じゃない』」アドラーは過去のインタビューでそう話している。「やつはこう返してきた。『レコーディングを延期する経済的余裕はない。今やらないとダメだ』」

弁護士の助言を受けアドラーを謹慎処分にしたバンドは、その数ヶ月後にアドラーを正式に解雇する。「ヤツはヘロヘロで、とてもバンドのドラマーを務められる状況じゃなかった」スラッシュはそう語った。「おまけに(クスリをやめようとしてると)俺たちに嘘をついていた。俺たちはヤツん家のトイレのシンクの下でクスリを見つけたんだ」

トラブルを経験しつつも、バンドはアルバム制作を続行する。ほどなくして彼らは、ストーンズを思わせるギターリフとトリッピーな歌詞でガンズ・アンド・ローゼズに引けを取らない人気を誇っていた、ザ・カルトのマット・ソーラムをバンドのドラマーとして迎え入れた。1990年4月に観たカルトのライブでのマットを、スラッシュは自伝でこう評している。「彼のプレイにはブッ飛ばされた」

時をほぼ同じくして、ローズはキーボーディストのディジー・リードをバンドに引き入れる。リードはメンバーたちとは旧知の仲であり、バンドがブレイクする前にはリハーサルスタジオで頻繁に顔を合わせていたという。1990年初頭、リードはガンズ・アンド・ローゼズの新メンバー募集オーディションを終えたばかりだった。半ばパニック状態でローズに電話をかけた彼は、自分がホームレスになるのは時間の問題だと嘆き、同情したローズの一存でバンドへの加入が決定したという。「俺は文字どおり彼らに救われたんだ」リードはそう話す。オリジナルメンバーたちが再集結した今日に至るまで、リードは一貫してローズと活動を共にし続けた唯一のメンバーとなっている。

バンドは新たなラインナップで再始動し、曲作りは順調に進んでいった。ソーラム加入後に完成させた最初の曲となったボブ・ディランのカバー『天国への扉』は、トム・クルーズ主演のレーシングムービー『デイズ・オブ・サンダー』(1990年発表)のサウンドトラックに収録された。「メンバーはみんな昼12時きっかりにスタジオにやってきた」ソーラムはそう話す。「全員がプロ意識を持って臨んでた。ひとつ曲を録り終えたら、近くのバーで軽く一杯だけやって、その後またスタジオに戻ってレコーディングを続けた」そのセッションではカヴァー曲が数多くレコーディングされ、いくつかは後に『ザ・スパゲッティ・インシデント?』に収録されている。ローズはそのうちのひとつ、ウイングスによる007のテーマ曲『死ぬのは奴らだ』のカヴァーを『ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル2』と評したこともあった。

バンドのルーツを辿るかのように、ガンズは『アペタイト・フォー・ディストラクション』、そしてそれ以前に追求したスタイルを再訪していった。後にスラッシュはスラップベースが印象的な『ユー・クッド・ビー・マイン』を「『イリュージョン』の一貫した方向性を意識するあまり、『アペタイト』の作風と似過ぎてしまった」と評しているものの、同曲は1991年発表の『ターミネータ−2』の主題歌に起用され、シングルとして発売された。またその頃、バンドが初のプリプロセッションを行った際にストラドリンが持ち寄った、2分半という潔いパンクトラック『パーフェクト・クライム』も完成をみた。

Translation by Masaaki Yoshida

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