イギー・ポップの軌跡:未公開写真で綴る高校時代からストゥージズ結成の瞬間まで

ストゥージズの運命が変わった日

Jeff Gold collection

エレクトラの宣伝部門ディレクターだったダニー・フィールズは、ジョン・コルトレーンの追悼イベントに出演したMC5とストゥージズのライブを観るためにアナーバーを訪れた。「白塗りとあの衣装をまだ使ってたかどうかは覚えてないな」ストゥージズの名前を世に広めるきっかけとなったユニオン・ボールルームでのライブについて、ポップはそう話す。「俺は場を盛り上げようと必死になってた。古い木製の厳かな会場で、数百人のオーディエンスが脚を組んでショーを鑑賞してるような状況だったからな。ステージの高さは24インチ、いや30インチくらいあった。昔の貴族がヴァイオリンのソロコンサートを楽しんだような会場で、俺たちは爆音のライブをやった。演奏後に、ある男性からこう声をかけられたんだよ。『私はエレクトラ・レコードの人間だ。君たちに話がある』彼は見るからに業界人って感じで、ロンにこう言ったらしいよ『君たちはスターになる存在だ』」

ファン・ハウスでの生活

Jeff Gold and Johan Kugelberg Collections

1968年末、ストゥージズのメンバーたちが入居した「ストゥージズ・マナー」は、「ファン・ハウス」と呼ばれることもあった。写真はポップのベッドルームだという。「『ザ・ストゥージズ』と『ファン・ハウス』の間の時期に、俺は短い結婚生活を送ったんだけど、裕福な家の出身だった相手の女性は俺の部屋を一変させようとしてた」ポップはそう話す。「彼女は部屋を片付けて、立派な家具を持ってきてくれた。さらに結婚の記念品として、俺は彼女からポンティアックのファイヤーバードをもらった。でも正直全然嬉しくなかったんだよ。それどころか、こんな生活を送ってたら俺はミュージシャンとしてダメになると思い始めた。自分でもイカれてるって思ったけど、どうしてもその考えを拭えなかったんだ」

レコード契約を交わすザ・ストゥージズ

(c) Leni Sinclair

1968年10月8日、ザ・ストゥージズとMC5はエレクトラとレコード契約を結んだ。その記念すべき日に撮影されたこの写真では、両バンドのメンバーとクルーが勢揃いしている。後列左から7番目のジーンズ姿のポップは、その時突発的に曲作りの必要性を感じたと話す。「バンドのレコード契約は、一度聞いたら忘れないキラーリフを2つ書いたロン・アシュトンの功績だった」彼はそう話す。「『(アイ・ワナ・ビー・ユア・)ドッグ』と『(ノー・)ファン』を初めて聴かされた時は、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ラヴィ・シャンカール、ザ・フー、ジミ・ヘンドリックスをごちゃ混ぜにしたような曲だと思った。『(アイ・ワナ・ビー・ユア・)ドッグ』のリフは、ヘンドリックスの『ハイウェイ・チャイル』にインスパイアされて生まれたんだよ。実際コード進行も同じだ。でもやつはそれをオープンコードで鳴らして、ザ・フーとヴェルヴェッツとインド音楽を組み合わせたような音を作ってみせた。やつにインド音楽を教えたのは俺で、俺たちは2人ともヴェルヴェッツの大ファンだった。ロンはそういったバンドから受けた影響をアンプに語らせてたんだよ」

Translation by Masaaki Yoshida

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