レッチリ、『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』の知られざる10の真実

5. ジョン・フルシアンテの全てのギターソロのテイク数は、1回か2回だけである。

BSSMのオーガニックなサウンドと雰囲気は、ジョンのギターソロを含むアルバムのベーシック・トラックの大半が、編集されていないことに多いに関係している。「ジョンのソロの多くがベーシック・トラックで、メンバーと一緒にライヴレコーディングしてる」。こうフリーは、91年に米ギターワールド誌に説明している。「編集したのは、ほんの少しだけ。ソロは2回までしか弾かないっていうのが、ジョンの方針なんだ。一回弾いた後で、彼が気に入らなかったり、俺たちが気に入らなかったら、彼がもう一回だけ完全に違うスタイルで弾いてね。それ以上はなしだったんだ」

6. 『ギヴ・イット・アウェイ』は、音楽史の中で唯一リヴァー・フェニックスとニナ・ハーゲンからインスピレーションを受けた曲かもしれない。

アンソニーの『スカー・ティッシュ─アンソニー・キーディス自伝』によると、『ギヴ・イット・アウェイ』は、アンソニーがアルバム制作の数年前にドイツ人のアバンギャルドなパフォーマー、ニナ・ハーゲンから受けたアドバイスからインスピレーションを得た曲である。「物をあげることは、いつでも大切なことなの」とアンソニーはニナから言われたという。「そうすることは、良いエネルギーを作るの。あなたのクローゼットが洋服でいっぱいで、それを全部自分用に取っておこうとするなら、あなたの人生は質素なものになってしまうわ。でも、あなたのクローゼットが洋服でいっぱいで、他の人がその中から好きなものを見つけた時にそれをあげることができたら、世界はより良いものになるのよ」。同曲の歌詞にはまた、アンソニーが元恋人の女優アイオン・スカイを通じて知り合った、俳優リヴァー・フェニックスへ捧げる内容も含まれている。「リヴァーとは、アルバムの曲作りとレコーディングの間に、多くの時間を一緒に過ごした」。こうアンソニーは自伝に綴っている。「彼はバンドの強力なサポーターだった。『ギヴ・イット・アウェイ』の"物を与えるために生まれてきた川がある。君を温め続け、君を震えさせない川/彼の心が枯れることなんてない。さあみんな、いざ与える時だ"というヴァースは、彼について書いている」


Photo by Mark Seliger

7. 『アンダー・ザ・ブリッジ』は、アンソニーが書いた詩で、レッチリの曲として使用する予定は全くなかった。

BSSMのリハーサルの初期段階にアンソニーが書いた詩が、92年に世界中で大ヒットした陰鬱な『アンダー・ザ・ブリッジ』となった。アンソニーは、薬物を断ってから2年が経過した当時、まだ薬物を摂取していた他のメンバーからの疎外感を募らせていたという。「自分の人生、今がどれだけ悲しいかってことを考え始めたんだ」。こうアンソニーは、92年にローリングストーン誌に話していた。「でも、どれだけ悲しかったり孤独であっても、常に薬漬けだった2年前と比べると、100万パーセントもマシだった。比べ物にならなかったね。それで、"今は最悪だって感じるかもしれないけど、2年前の気持ちはもう絶対に嫌だ"って自分に言い聞かせてたんだ」。アンソニーは、リック・ルービンがノートの詩を偶然見つけるまで、その詩を曲の元として使用することは考えていなかったという。「彼に見られたくなかったものだったんだ」。こうアンソニーは、米BAM誌に打ち明けていた。「ちょっと繊細なもので、彼は嫌うだろうって思ってたんだ。でもその文字を読んだ彼は、俺に歌うように求めてきたんだ。そうしたら彼、衝撃を受けてしまったんだ。この曲をメンバーに聴いてほしくないとさえ思ってたけど、聴いたメンバーは衝撃を受けてた。それで、アルバムに収録されることになったってわけ」

Translation by Miori Aien

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