ニルヴァーナ『ネヴァーマインド』、知られざる10の真実

(Photo by Jeff Kravitz/FilmMagic)

『ネヴァーマインド』のジャケットのアイディアからジョン・レノンの影響から驚くべき仮タイトルまで、グランジを世界中に知らしめた1991年の金字塔に隠されたストーリーの数々とは?

発売から25年が経ってなお、ニルヴァーナの『ネヴァーマインド』は史上最高のアルバムのひとつとして語り継がれている。同作はバンドの名前を世界中に知らしめただけでなく、グランジとオルタナティブ・ロックがラジオやMTVを独占する時代の到来を告げた。パンクの強烈なエネルギーと耳に残るフックを併せ持った同作の爆発的なヒットは、その代償としてカート・コバーンに若者たちの代弁者という重い役割を課し、その3年後に彼は自ら命を絶ってしまう。

プロデューサーにブッチ・ヴィグを迎え、ウィスコンシンとロサンゼルスで1年間の制作期間を経て完成した同作により、バンドは途方もない成功を手にし、コバーンは時代の寵児となった。2400万枚という驚異的なセールスを記録し、様々な逸話を生み出した『ネヴァーマインド』は、現在でも世代やジャンルの壁を越えた幅広いリスナーから絶大な支持を集めている。同作の発売25周年を記念し、一時代を築いた歴史的名盤の知られざる10の事実を以下で紹介する。

1. 1990年にバンドがブッチ・ヴィグとレコーディングを開始した当時、『ネヴァーマインド』はサブ・ポップからリリースされる予定だった。

バンドが『ブリーチ』に続くセカンドアルバムの制作に着手したのは、その発表から1年以上前のことだった。サブ・ポップの共同設立者であるブルース・パヴィットから紹介されたブッチ・ヴィグとともに、彼らはまず6曲をレコーディングする。彼らがソニック・ユースとのツアーを経て注目を集め始めていたこともあり、当時サブ・ポップはメジャーレーベルとの流通契約を模索していた。一方ウィスコンシンでヴィグと共にレコーディングを行っていたバンドは、アルバムに収録される『リチウム』や『ポリー』のデモを仕上げる。その後バンドはメジャーレーベルと契約し、デモ曲群はロサンゼルスのサウンド・シティで完成することになった。

2. ニルヴァーナにゲフィンとの契約を促したのはソニック・ユースだった。

チャールズ・R・クロス著の『Heavier Than Heaven カート・コバーン・バイオグラフィー』によると、カート・コバーンはソニック・ユースのキム・ゴードンとサーストン・ムーアに絶大な信頼を寄せていたとされる。ソニック・ユースの大ファンだった彼は、1991年にニルヴァーナが彼らの前座に抜擢されたことを光栄に感じていたという。同じくニルヴァーナのファンだったソニック・ユースの2人は、彼らをマネージメント会社のゴールド・マウンテンと引き合わせただけでなく、メジャーレーベルのゲフィンとの契約を後押しした。

Translation by Masaaki Yoshida

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