ブリティッシュ・インヴェイジョン:ビートルズから始まった英国ミュージシャンのアメリカ制覇

日本武道館公演時のビートルズ (C)Apple Corps Limited. All Rights Reserved.


ロックンロールは、60年代の初めにはほとんど消滅しかけているように見えた。それに伴い、ロックンロールはただの流行りにすぎないと片付けようとする人間もいた。しかしブリティッシュ・インヴェイジョンがもたらした熱狂は、そんな風潮を一蹴した。またビートルマニアは、世代間の奇妙な衝突も招いた。当時はブリティッシュ・インヴェイジョンについて報じたり、解説したりする若者向けのメディアがなかったため、その役目は既存の媒体にゆだねられた。見識豊かな評論家たちの中には、見下すものものいれば、困惑しつつ認めるものもいた。若者の道徳をいつも見張っている人たちの多くは、ビートルズを"愛すべきモップ頭"としてではなく"(素敵な)黙示録の四騎士"として見ていた。USニューズ&ワールド・レポート誌のインタヴューで、ハーバード大学社会科学教授であるデイヴィッド・リースマンに最初に投げかけられた質問は、「ビートルズと名乗る歌手の流行は、アメリカの若者たちの気が狂っている証拠なのか」だった。それに対しリースマンは答えた。「今まで以上に狂ってるわけではない」

言い換えれば、ジェネレーション・ギャップが生まれたのが64年なのだ。アメリカの若者たちは狂ってなどいなかった。彼らはただ目覚め、辺りを見回し、自分にとって大切なものはみんなにとっても大切だと決めただけだ―そして、新たに生まれたこの連帯感は刺激的だった。

アメリカが、どうしてここまでの熱意を持ってビートルズを受け入れたかについては諸説ある。有名なのは、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺のショックに国内が揺れる中、JFKの代わりとして、4人が当時頂点に達しつつあった若者の理想主義の対象になったという話。また60年代初期の音楽シーンにおいて、ビートルズは群を抜く存在だったため、プレスリー以来初めて子どもたちが熱狂するに値したという説にも説得力がある。だがもちろん決め手となったのは、相当なプロモーション費用と、マネージャー、広報、レコード会社の入念な手回しによってそつなく組まれたキャンペーンだった。

バンドがアメリカで大歓迎を受けた理由はこれで説明がつくが、"ロックンロールの苗床"としては認知されてなかった大英帝国が、先陣を切ってビートルズやその仲間たちを世に送り出した理由の説明にはなっていない。50年代のイギリスには、アメリカのロックンロール歌手の亜流しかいなかった。ブリティッシュ・ポップは「笑止千万」だったと、ジャーナリストで脚本家のニック・コーンは話す。「歌える人間もいなければ、曲を書ける人間もいませんでした。まあ、どのみち気にする人間もいませんでしたが」


ザ・フー The Visualeyes Archive/Redferns

イギリスの音楽業界は、BBCとロンドンのデンマーク・ストリートに軒を連ねる音楽出版社に厳格に支配されていた。少数の力のあるマネージャーたちが、大勢の地元のシンガーたちをエルヴィス・プレスリーやバディ・ホリーの型にはめて育て上げた。トミー・スティール、クリフ・リチャード、アダム・フェイス、ビリー・フューリーといった、こざっぱりとしてなんら個性もない彼らの名前は、アメリカではほとんど知られていなかった。しかし一方で、アメリカのブラックミュージックに魅せられた音楽純粋主義者たちが、ニューオリンズ・スタイルのジャズ(いわゆる"トラッド・ジャズ")やアコースティックなフォーク・ブルースを模倣しだした。このルートは、間接的にビートルズや国産のブリティッシュ・ロックンロールにつながった。

Translation by Naoko Nozawa

RECOMMENDEDおすすめの記事


Current ISSUE

RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事