『アナザー・サイド』でボブ・ディランが世代の代弁者を降りた訳

アルバム『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン(原題:Another Side of Bob Dylan)』では、それまでの社会問題をテーマにしてきた方向性を変え、より個人的なテーマの曲を披露した。(Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)

体制や社会を批判し続けてきたディランは、1964年に制作したアルバム『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』で自らの思いをぶつけた。

1964年6月のある日、フォークシンガーのランブリン・ジャック・エリオットはグリニッチ・ヴィレッジのフォークロア・センターの前にいた。そこへ一台の車が停まり、ヨーロッパ・ツアーから帰国したばかりのボブ・ディランが飛び出してきた。その姿を見た時エリオットは、それが彼の旧友であるとはわからず、ただ「ヒールの高い"スペイン革のブーツ"を履いた背の高い男が降りてきたな」としか思わなかった。その後エリオットは、その男がディランであることにようやく気づいた。「へい、乗れよ。レコーディングへ行くぞ」とディランはエリオットを車へ招き入れた。

エリオットは言われるがまま車に乗り込み、間もなく一行はミッドタウンにあるコロムビア・レコードのスタジオへ到着した。ディランは前年(1963年)の10月以降、1曲もレコーディングしていなかった。当時は1年に2-3枚のアルバムをリリースするのが通常のペースだった。そのため、ディランも時期的にニューアルバムの制作を迫られていた。エリオットは車に積んであったボジョレーワインを2-3本抱え、ディランの友人やスタッフたちの賑やかな輪に加わった。プロデューサーのトム・ウィルソンやジャーナリストのアル・アロノウィッツも、ジーンズ姿でサングラスをかけたディランが4枚目のアルバムを制作する様子を見守っていた。「今夜はきっといいモノができるぜ」とディランはウィルソンに請け合った。その直前、ディランは恋人だったスーズ・ロトロと破局している。いくつかの新曲は、1964年5月にロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールでのコンサート後に訪れたギリシャとパリでの休暇中に作られたが、それらの曲には当時の人生の転機が反映されている。アルバムには、陽気な曲調の『オール・アイ・リアリー・ウォント(原題:All I Really Want to Do)』、ほろ苦い『悲しきベイブ(原題:It Ain’t Me Babe)』や『Dのバラッド(原題:Ballad in Plain D)』、痛烈な『アイ・ドント・ビリーヴ・ユウ(原題:I Don’t Believe You [She Acts Like We Never Have Met])』などバラエティに富んだラブソングが並ぶ。

Translation by Smokva Tokyo

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