Pファンク、バーニー・ウォーレル逝去:"鍵盤の魔術師"が音楽界へ遺したもの

バーニー・ウォーレルはパーラメント、ファンカデリック、トーキング・ヘッズのキーボード奏者。がんの治療中だった (Clayton Call/Redferns/Getty Images)


ウォーレルはパーラメント/ファンカデリックの15人のメンバーと共に1997年、ロックの殿堂入りを果たしている。このキーボード奏者は、この集団のもっとも頼りになる大黒柱の一人で、1971年の『マゴット・ブレイン』からパーラメントの1975年のスペース・ファンクの名作『マザーシップ・コネクション』、そしてローリングストーン誌の選ぶ最高のアルバム500選の177位となるファンカデリックの1979年『ワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ』まですべてに登場している。



ウォーレルはその後、『アップ・フォー・ザ・ダウン・ストローク』、『チョコレート・シティ』、『Pファンク(ウォンツ・トゥ・ゲット・ファンクト・アップ)』、『マザーシップ・コネクション(スター・チャイルド)』、そしてウォーレルの今では伝説となったミニモーグのベースラインをフィーチャーした『フラッシュ・ライト』で、共同作曲者としてもクレジットされた。

パーラメント/ファンカデリックの異常なまでに多作の70年代の後、クリントンが金銭上および管理上の問題でグループを崩壊させてしまってから、ウォーレルはその集団とは別の道を歩みはじめる。コンピューター・ゲームをフィーチャーした1982年の『アトミック・ドッグ』に代表されるように、80年代のウォーレルはクリントンのソロ・アルバムなどへの貢献を続ける一方で、その当時勢力を伸ばしてきた別の動きに引き抜かれることになった。トーキング・ヘッズである。

Translation by Kise Imai

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