幻の未発表アルバム15選

(Illustration by Ryan Casey)


マーヴィン・ゲイ『Love Man(ラヴ・マン)』(1979年)

モータウンのスター、マーヴィン・ゲイは79年に2つのことに夢中になっていた。コカインと関係が悪化した妻のジャニス・ハンターだ。そしてこのことは、マーヴィン・ゲイの音楽キャリアを破壊し、ファンは彼よりも若いリック・ジェイムスやプリンスといったスターに群がった。「あいつらが俺のファンを奪うのは、いただけない」。マーヴィン・ゲイはこう不満を漏らしていた。「俺のファンを取り戻すんだ。正統派のロマンティックなパーティ・アルバムを作るんだ」

『ラヴ・マン』という皮肉なタイトル名のアルバムに収録された曲は、臆面もなく妻とファンを取り返そうとするものであった。『A Lover’s Plea(ア・ラヴァーズ・プリー)』には「天の神が僕を許すというのに、どうして君にはできないの?」と悲嘆にくれる歌詞がある。アルバムの主要曲であり、ディスコ的な要素が散りばめられたダンスナンバー『エゴ・トリッピング・アウト』さえも、女好きという評判に深く傷ついたセルフパロディ曲になっている。

同曲は失敗に終わり、450万米ドルの税金が事態をさらに悪化させた。お金に困ったマーヴィン・ゲイは、収入を得るためにツアーをまわったが、中途半端なステージをたった数回行った後でコンサートのプロモーターからの訴訟が相次いだため、ツアーから撤退している。莫大な借金を抱え自己破産せざるを得ない状況に追いやられたマーヴィン・ゲイは、コカイン28グラムを一度に摂取し、自殺を図った。

マーヴィン・ゲイは自殺から生き延びると、生活を改善しようとした。不幸な時期から距離を置くために、彼は新たなプロジェクト『イン・アワー・ライフタイム』を始動させた。「モータウンが『ラヴ・マン』をリリースするために、どれだけお金を投資してくれても、俺はリリースできなかっただろうね」。彼はデイヴィッド・リッツにこう話したことがあった。マーヴィン・ゲイが『ラヴ・マン』に再び取り掛かろうとしているという噂があったが、84年に逝去したことでそれは叶わぬ希望となった。

ザ・クラッシュ『Rat Patrol From Fort Bragg(ラット・パトロール・フロム・フォート・ブラッグ』(1981年)

フロントマンのジョー・ストラマーとギタリストのミック・ジョーンズが、音楽の方向性をめぐって衝突すると、81年の秋までに『町の最後のギャング』と自称するクラッシュは、バラバラになりかけていた。ジョーが伝統的なロックンロールを好んだ一方で、ミックは当時の最新アルバムで探求した世界の音楽のトレンドを探求し続けたいと考えていたのだ。ミックはプロデューサーとして、『ラット・パトロール・フロム・フォート・ブラッグ』と題する大がかりな2枚組アルバムの制作に取り掛かった。

『ラット・パトロール・フロム・フォート・ブラッグ』は、主にニューヨークでレコーディングが行われ、最終的に80分のアルバムとなった。今聴くと、彼らが影響を受けていたヒップホップ、サーフ・ロック、カリプソ、ファンク、ニュー・ウェーブ、アフロビートという幅広いジャンルの要素が、テープ全体に散りばめられ見事に融合していることが分かる。また、ミックのエレクトリックなサウンドが詰まったプロダクションとなっている。バンド史上最高のアルバムではないにしても、バンド史上最も興味深い芸術作品の一つであることは間違いない。

しかしメンバーの反応は、圧倒的に否定的なものだった。「全部が全部、ラーガである必要はあるのか?!」。冗長なアルバムを聴いたバンドのマネージャーは、こう怒りを露わにした。そこで、ミックのやりたい放題で目的のないアルバムと評価したジョーは、同アルバムをより商業的な1枚組のアルバムにするために、名プロデューサーのグリン・ジョンズを起用した。ミックはアルバムから5曲取り出し、さらに別の5曲をそれぞれ2分の長さに短縮し、ミニマルなサウンドに仕上げた。こうしてクラッシュは、46分間のロック・アルバムを完成させた。同アルバムは、よりふさわしい『コンバット・ロック』というタイトルで、82年にリリースされている。

ブルース・スプリングスティーン『Electric Nebraska(エレクトリック・ネブラスカ)』(1982年)

アルバム『ネブラスカ』の元となったのは、ブルース・スプリングスティーンが82年の1月の最初の週にニュージャージーの自宅でレコーディングした、アコースティックのベーシックな作品だった。Portastudio(ポータスタジオ)のカセットレコーダーで録音された、ギターと重ね録りをミニマルに行ったヴォーカルのデモ曲15曲は、あとはEストリート・バンドのアレンジを加えるだけの状態だった。前作に比べてダウンビートで暗い曲は、家族との問題とスーパースターとしての孤独感に立ち向かうブルース・スプリングスティーンの不安が反映されている。

翌月、ブルース・スプリングスティーンとバンドはニューヨークのスタジオに集まり、プライベートな内容の曲にEストリート色を加えた。その作業が進むにつれて、『ボス』ことブルース・スプリングスティーンは、オーケストラのアレンジがふんだんに加えられたセッションに不満を募らせた。「彼らは歌詞を台無しにしたんだ」と彼は英アンカット誌に話している。「うまくいかなかった。あの2つのスタイルは合わなかったんだ。バンドはやって来て騒音を出すんだけど、あの歌詞には騒音は必要なかったんだ」。ブルース・スプリングスティーンは、ビッグバンド的なサウンドよりも、繊細なデモテープのサンドの方がはるかに良いと判断した。その結果、スタジオでのレコーディング・セッションは中止され、ホーム・セッションで収録された10曲が、『ネブラスカ』というタイトルでリリースされた。

数十年の間、『エレクトリック・ネブラスカ』として収録された曲の正確な数は明らかになっていなかったが、2010年にローリングストーン誌とのインタヴューの中で、ドラマーのマックス・ワインバーグがアルバムの存在を認めた。「Eストリート・バンドは実際に、『ネブラスカ』の全曲をレコーディングしたし、曲はかなり良かったんだ」とマックスは話していた。「全部妥協のないものだった。素晴らしいものだったけど、ブルースが世に送り出したいものではなかったんだ。フルバンド・バージョンの『ネブラスカ』は存在する。レコーディングされたものがどこかにあるんだ」


Translation by Miori Aien

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