幻の未発表アルバム15選

(Illustration by Ryan Casey)


ポール・マッカートニー『Cold Cuts (コールド・カッツ)』(1974年~1980年)

ポール・マッカートニー&ウイングスが、73年の『バンド・オン・ザ・ラン』でビートルズ級の売り上げを記録すると、レーベルは次作に不安を抱えた。ニューアルバムのリリースが、売り上げが伸びるクリスマス・シーズンに間に合わないということで、コレクションアルバム『ホット・ヒッツ・アンド・コールド・カッツ』(『コールド・カッツ』とも呼ばれる)のリリースが計画された。このアルバムは、チャート上位を獲得したシングル曲を集めたものと、ファブフォー解散後のポールの未発表曲を収めた2枚組となる予定だった。

74年7月に同プロジェクトに取り掛かったウィングスは、古い曲に手を加え、また新曲を数曲レコーディングした。しかし『バンド・オン・ザ・ラン』がチャートで勢いに乗っていた中、この一時しのぎのアルバムの発表は必要ないと判断され、アルバムはお蔵入りとなった。

ポールはその後20年の間、幾度となくこのプロジェクトを再始動させた。78年には、曲数を減らした1枚組のアルバムが発売寸前までいっていたという。しかしレーベールが未発表曲を収録したアルバムではなく、ヒット曲を集めたアルバムのリリースを好んだため、結局ベスト・アルバムが代わりに発売されている。80年10月、ポールは再び未発表曲に取り掛かり、その音楽の才能の幅の広さを見せつける12曲入りのアルバムを完成させた。そこにはホーダウンのダンス曲『ヘイ・ディドル』と、ウイングスが72年のヨーロッパツアーで披露した力強い『ベスト・フレンド』のライヴカットが並んで収録された。また陽気で夏らしいシンセポップ曲『Waterspout(ウォータースポート)』や、アルバムの中で最も心に染みる50年代のバラード曲『トラジディ』のカヴァーも収録されている。

このアルバムの収録曲はいろいろな意味で、当時のポールの他の作品以上の存在感を持っていた。しかしレーベルが前向きでなかったこともあり、ウイングスの解散とジョン・レノンの暗殺という悲しみの中で、アルバムは再びお蔵入りとなってしまった。

ニール・ヤング『Homegrown(ホームグロウン)』(1975年)

ニール・ヤングの私生活は、74年までに歯車が狂ってしまっていた。恋人であった女優のキャリー・スノッドグレスと別れ、CSN&Yの活動を再開させようとした彼に待ち受けていたのは、『ヒューマン・ハイウェイ』プロジェクトの中止と、メンバーの関係が深刻化した「破滅のツアー」だった。ニール・ヤングはこの荒れた時代に、ニューアルバム『ホームグロウン』の曲作りに励んだ。

「42丁目のど真ん中とかベトナムでアルバムを作ろうとするみたいに、緊迫してました」とプロデューサーを務めたエリオット・メイザーは言う。「地獄を味わってる男がいて、その男にとってそれはカタルシスみたいなものだったんです」。『フローズン・マン』『セパレイト・ウェイズ』『ラヴ・アート・ブルース』といった曲からは、孤独で悲しみに打ちひしがれた男の荒涼さを感じることができる。完成したアルバムを耳にした誰もが、ニール・ヤングを一躍トップアーティストに押し上げた大ヒットアルバム『ハーヴェスト』に劣らない傑作だと断言した。アルバムジャケットは印刷され、レコード会社の重役たちは、ミリオンセラーになる心の準備をしていた。

そんな中、心変わりしたニール・ヤングは最新アルバムの意見を聞こうと、ザ・バンドのリック・ダンコを含む友達をロサンゼルスのホテル、シャトー・マーモントに集めた。この時、『ホームグロウン』が流れ終わったところに、ダークで粒の粗いサウンドの未発表アルバム『今宵その夜』が、偶然ステレオから流れ出したという。

リックは『ホームグロウン』の比較的精巧なサウンドよりも、『今宵その夜』の力強いサウンドを好んだ。ニール・ヤングはレーベルの助言を無視し、その年の6月に『ホームグロウン』ではなく『今宵その夜』をリリースした。「(『ホームグロウン』を)今の俺からは聴きたかもしれないけど、かなり暗いアルバムだったんだ」。彼は当時ローリングストーン誌にこう話していた。「プライベートなアルバムすぎて...怖くなったんだ」

ザ・ビーチ・ボーイズ『Adult/Child(アダルト/チャイルド)』(1977年)

70年代前半、ブライアン・ウィルソンは精神病と薬物依存を理由にバンドを不在にしていた。そんな彼が76年、ビーチ・ボーイズのプロデューサー兼天才としての役割に復帰すべく、冬眠から目覚めた。その結果発表された『15 ビッグ・ワンズ』(1976年)と『ラヴ・ユー』(1977年)は、輝かしい結果こそ残すことはできなかったが、それらのセッションはブライアンに自信を取り戻させた。ブライアンは、67年の未発表アルバム『スマイル』のセッション以降めったに見せることのなかったクリエイティブな情熱を持って、次なるプロジェクトに取り掛かった。

『アダルト/チャイルド』でブライアンは、フランク・シナトラの編曲者を迎え、軽快で派手なアレンジが加わったビッグバンド風のアルバム作りに挑戦した。彼の中に新たに芽生えた活力は、アルバムのオープニング曲『ライフ・イズ・フォー・ザ・リビング』の「人生は生きるためのもの/ぼんやりと過ごすな/大麻を吸う/そんなものは、はるか昔に時代遅れになったんだ」という忘れ難き忠告に表れている。

華麗な楽器のアレンジが施されているにも関わらず、『アダルト/チャイルド』の曲は、ブライアンの驚くほどプライベートな人生を垣間見せている。ブライアンは『H.E.L.P. イズ・オン・ザ・ウェイ』のようなアップテンポな曲で、自身の『激太り』を嘆き、『ラインズ』では、映画館への平凡な旅を歌った。また『スティル・アイ・ドリーム・オブ・イット』と『イッツ・オーヴァー・ナウ』の2曲のバラードは、アルバム『ペット・サウンズ』のB面の収録曲に劣らない、心響く曲になっている。

しかしバンドのメンバーはというと、アルバムの曲に良い反応を示さなかった。オーケストラのアレンジがしっかりと施されたデモを聴いたマイク・ラヴは、とても信じられないという顔で「一体何のつもりなんだ?」とブライアンに言ったそうだ。バンドがアルバムの曲を拒否した結果、『アダルト/チャイルド』ではなく、低評価されることとなる『M.I.U.アルバム』が代わりに発表された。

Translation by Miori Aien

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