幻の未発表アルバム15選

(Illustration by Ryan Casey)


ザ・フー『Rock Is Dead ─ Long Live Rock!(ロック・イズ・デッド ─ ロング・リヴ・ロック!)』(1972年)

ピート・タウンゼントの陰鬱なアルバム『Lifehouse(ライフハウス)』は、ザ・フーが69年にリリースしたロック・オペラの伝説的アルバム『トミー』に続く一枚となる予定だったが、発表するにはあまりにもヘヴィな内容だった。ピートが一年ほど汗水垂らし神経衰弱にまで陥った後にプロジェクトは打ち切られ、当時の曲は71年のアルバム『フーズ・ネクスト』に収録された。そしてピートは次なるプロジェクトに、より身近なトピックを選んだ。

『ロック・イズ・デッド ─ ロング・リヴ・ロック!』は、バンドの歴史を辿る自叙伝的アルバムとなる予定だった。英国でグラムロックの人気に火がつき始めた頃、ザ・フーは絶好のタイミングでシンセサイザーを使うことを止め、伝統的な四つ打ちビートを刻んだ。レトロなブギウギの見事なタイトル曲は、バンド初期のライヴの雰囲気を感じることができる。

グリン・ジョンズを共同プロデューサーに迎えたスタジオ・セッションは、72年の5月から6月にかけて行われた。ピートは、レコーディングが終わりに近づいていることを明らかにしていた。またアルバムのリリースに伴い、テレビの特集番組の計画があるという噂までもあった。しかし夏が過ぎ行く中、バンドはアルバムが『フーズ・ネクスト』のサウンドに酷似していると感じ始め、メンバーの熱意は薄れていった。その年の秋にピートは、「みんなは俺たちの過去の全てを、座って聴いたりしないさ」と英メロディ・メーカー誌に不満をもらしていた。しかし、バンドの過去を再訪したことはピートに多大なインスピレーション与え、『ロック・イズ・デッド ─ ロング・リヴ・ロック!』はザ・フーのロック・オペラで前衛的なアルバム『四重人格』として生まれ変わりリリースされた。

クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング『Human Highway(ヒューマン・ハイウェイ)』(1973年)

70年のツアーでの解散劇は、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング(CSN&Y)が、その後長い間引き裂かれたままである可能性を示していた。しかし73年に、再結成の準備を整えた四人はマイアミへ飛び、ニール・ヤングの平和で心地良い松の木に囲まれたビーチハウスで、ニューアルバムの曲作りやリハーサルをした。『ヒューマン・ハイウェイ』と名付けられたこのプロジェクトでは、タイトル曲と『パードン・マイ・ハート』をニール・ヤングが、『アンド・ソー・イット・ゴーズ』と『プリズン・ソング』をグラハム・ナッシュが、『シー・ザ・チェンジ』をスティーヴン・スティルスが、そして『ホームワード・スルー・ザ・ヘイズ』をデヴィッド・クロスビーがそれぞれ手掛けた。

数々の新曲を手にレコーディング・スタジオに再集結したCSN&Yであったが、すぐに張り詰めた雰囲気がセッションに漂い、同プロジェクトは取りやめとなった。バンドは関係が落ち着いた1年後の74年の夏に、2カ月間の大規模ツアーを決行した。ファンを大いに楽しませたツアーではあったが、薬物乱用、グループ内の確執、悪い雰囲気が漂ったこのツアーを、クロスビーは「破滅のツアー」と呼んだ。

その年の11月、CSN&Yはカリフォルニアのスタジオに再集結し、『ヒューマン・ハイウェイ』に再び取り掛かっている。「(アルバムは)無理なものだったんだ」とデヴィッドは話している。「スティルスはぼろぼろだった。俺もひどかった。ナッシュでさえ、普段の良いヤツじゃなかったんだ」。バンドは75年1月に、グレイトフル・デッドのビル・クルーツマンを迎え、最後の試みに出る。しかし、ナッシュとスティルスがハーモニーの音程について口論する様子にうんざりしたニール・ヤングがバンドを後にし、その後プロジェクトが再始動することはなかった。

ピンク・フロイド『Household Objects (ハウスホールド・オブジェクツ)』(1974年)

73年のアルバム『狂気』で、世界的に成功を収めたピンク・フロイド。わずか一夜にして、バンドを最も勢いのあるロックバンドへと変身させた『狂気』に釣り合うアルバムの制作に困った彼らは、実験的で馬鹿げたコンセプトに取り掛かることに落ち着いた。そのコンセプトとはなんと、楽器を一切使わずにアルバムを作るというものだった。

『ハウスホールド・オブジェクツ』でピンク・フロイドは、ハンドミキサー、電球、木工用のこぎり、ハンマー、ほうき、その他の家庭用電化製品を使って曲を演奏した。そのレコーディングは、困難極まるものだったという。「俺たちは、鉛筆と輪ゴムでベースの音に近いサウンドを出すために、何日も費やした」。リック・ライトは2007年の英BBCのドキュメンタリー番組で、こう回想していた。「ロジャーと座って、『ロジャー、これはむちゃだ』って話したのを覚えてる」。またドラマーのデヴィッド・ギルモアも、同じ見解を語っている。「大体が、ドンって音だけだもんな。...最終的には、個人的に満足できないものになったんだ」

満足、成果の得られないプロジェクト。最終的に彼らは、輪ゴムでベースのサウンドを作ることに苦労するのではなく、ベースを使うことを選択した。楽器を使用することによって、『ハウスホールド・オブジェクツ』は幻のプロジェクトとなった。そして1カ月に及んだプロジェクトが生み出したのは、半分完成した『ザ・ハード・ウェイ』と『ワイン・グラシズ』の2曲だけだった。『ザ・ハード・ウェイ』は、2011年にボーナストラックとして収録された時に、ようやくその存在が明らかになった。一方の『ワイン・グラシズ』は、『狂気』に続くアルバム『炎~あなたがここにいてほしい』の主要曲『クレイジー・ダイアモンド』の中で使われている。

デヴィッド・ボウイ『The Gouster』(1974年)

74年のアルバム『ダイアモンドの犬』は、R&Bに心酔するボウイを垣間見ることができる。そしてボウイのR&B熱は、同年の全米ツアーで本格的になった。バスで米国を縦横する間、彼はラジオから流れてきたフィリー・ソウルのサウンドに陶酔したという。

ボウイはフィーリー・ソウルの発祥地を訪れることを決め、その年の8月にフィラデルフィアの名高いシグマ・サウンド・スタジオの予約を取り向かった。そしてそこで、ルーサー・ヴァンドロスをはじめとしたスタジオ・ミュージシャンから成る、夢のグループを結成した。コカインの力を借りた数週間のセッションでは、アルバム一枚を作るのに十分な数の曲が生まれた。『イッツ・ゴナ・ビー・ミー』『アフター・トゥデイ』『フー・キャン・アイ・ビー・ナウ?』『Shilling the Rubes(シリング・ザ・ルーブス)』は、ボウイが『プラスティック・ソウル』と呼ぶ曲の中でも、存在感抜群だ。また同セッションで誕生したものの中で最も有名な曲といえば、リチャード・ニクソン元米大統領の辞任から2日後に収録され、歌詞にニクソン元大統領の名前が登場する『ヤング・アメリカンズ』だろう。

プロデューサーのトニー・ヴィスコンティは、「指を鳴らしながら町を歩く流行最先端の男」と自ら定義する黒人の俗語『The Gouster』というアルバム名で、セッションの曲を集めた。まさにボウイにふさわしいアルバムタイトルだ。「ありのままの自分で最もいられたアルバムだった」。ボウイはアルバムの発表前に、こう英メロディ・メーカー紙に語っていた。

アルバムのリリースの準備が整った頃、ビートルズのあるメンバーが同プロジェクトに参加した。「アルバムをミックスした2週間ぐらい後に、ボウイからジョン・レノンと一緒に『フェイム』という曲をレコーディングしたという電話をもらったんです」とトニーは当時を回想している。2人はこの曲以外にも、ジョン・レノンの『アクロス・ザ・ユニバース』をレコーディングしていた。これら二曲に合うようにトラックリストが何度も入れ替えられた後、最終的にアルバム『ヤング・アメリカンズ』として75年3月にリリースされた。

Translation by Miori Aien

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