モハメド・アリがアメリカを変えた4つのこと

3.ブランド・エンタティナーとしてのアスリート

フランク・シナトラやエルヴィス・プレスリーとも双璧のポップカルチャー・アイコンであるアリは、エンタテインメント業界にも多大な影響を与えた。カシアス・クレイ時代の1963年にはデビュー・アルバムを制作している。コロンビアから発売された『I Am The Greatest』と題された朗読録音版で(ちなみにライナーノーツは詩人のマリアン・ムーアが書いている)、アリが歌う『スタンド・バイ・ミー』も収録されている。この作品はアルバムチャートで最高位67位を獲得、グラミー賞にもノミネートされた。とはいえ、アリの次のグラミー・ノミネーションは1976年まで待たなければならないのだが(『The Adventure of Ali and His Gang vs. Mr. Tooth Decay(アリの仲間対虫歯さんの冒険)』という、歯科衛生キャンペーンのノヴェルティ・アルバムで”子ども向け優秀作品部門”にノミネート)。

しかし、ハリウッドへのアリのもっとも長きにわたる貢献といえば、やはり1975年に行われた流浪の白人ファイター、"ベイヨンズ・ブリーダー(ベイヨンの流血魔)"ことチャック・ウェプナーとの一戦だろう。この試合で、掛け率40−1と圧倒的なアンダードッグだったウェプナーは、アリとあわや15ラウンドまでもつれ込む善戦をみせ、第9ラウンドにはチャンピオンをノックアウト寸前にまで追い詰めたのである。これに感銘を受けた俳優のシルべスター・スタローンが自ら脚本を描いたのが、後の『ロッキー』である(スタローンは長年、ウェプナーから直接影響を受けたことを否定していたが、最終的にはウェプナーに訴訟を起こされて2006年に和解している)。2002年、アリはハリウッド大通りのウォーク・オブ・フェイムに星を刻んだ。彼の星だけは、歩道ではなく壁に刻まれている。これは、アリが自分の星はどうか地面には刻まないでほしい、予言者モハメドの名前の上を踏んではならないと主張したからである。

Translation by Kuniaki Takahashi

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