モハメド・アリがアメリカを変えた4つのこと

2.60年代の反戦運動を活性化

1966年3月、アリの徴兵資格が見直され、入隊適格とされた後、アリは憲法に定められた良心的徴兵拒否の権利を行使して米軍入隊を拒否し、世界中の見出しを飾った。アメリカ人の多数派が当時はまだ、ベトナム戦争を支持していたので、アリがはっきりと反対を表明したことは大きな論争を巻き起こした。政治家やメディアはアリのことを臆病者だ、裏切り者だと責め立てた。「オレはベトコンに恨みも何もない」とアリは動機について説明している。「かわいそうな人たちを射殺などしたくないんだ。そんなことをするくらいなら、オレを刑務所にぶちこめばいい」

アリは恐怖からではなく、信念の強さから行動したのだが、重い代償を払わされることになる。1967年3月、アリはヘヴィ級タイトルを剝奪された。6月には徴兵拒否を理由に起訴され、懲役5年の判決を受けた。3年半にわたって、事実上ボクシング界から追放され、パスポートも没収、どの州でもボクシング・ライセンスが支給されなくなった。全盛期を無駄に過ごしたことはアリにとっては巨額の損失となった。この間の負債のために、アリは本来引退すべき時点をすぎても試合を続け、ダメージを蓄積し、そのことが最後の30年間アリを苦しめたパーキンソン病につながったと考える向きが多い。

しかし、信念のあるアリの態度は、60年代の反戦運動を活性化させ、マーチン・ルーサー・キングが1967年4月にベトナム戦争反対を打ち出す後押しにもなった。アリはリングから離れている期間、全国の大学キャンパスで講演して人気を博す。1971年、アメリカ最高裁判所は満場一致でアリへの有罪判決を覆した。良心に基づくアリの行動は、政治意識の高いアスリートにとって理想的なモデルとなった。1968年夏期五輪でトミー・スミスとジョン・カルロスが黒い手袋をつけて拳を突き上げて人種差別に抗議したり、カート・フラッドが1969年にメジャーリーグ・ベースボールの保留条項に異議を申し立て、それが最終的にはフリー・エージェントの時代を招いたことにも、アリの影響が感じられる。アリの勇気は、一般的な世論に抵抗する際の行動原理として、今でも多くの人にインスピレーションを与えているのである。

Translation by Kuniaki Takahashi

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