40年以上を経て再び世界が注目する、虫プロ製作のエロティック長編アニメとは

19世紀フランスの歴史家ジュール・ミシュレが1862年に刊行した小説『魔女』から発想を得た『哀しみのベラドンナ』は、公開から40年が経っても、宗教・道徳上の罪の意味合いでもその衝撃値としても、稀有なアニメ作品として依然として残り続けている。当時、東映のような映画スタジオ(そのスタジオで最も良く知られている秘蔵っ子の宮崎駿は、メディアで最も有名な監督の一人となる)の人気作品の大部分は、当たり障りの無いものであった。山本の作品はその流れに逆らうものであり、そのために代償を払うことになった。

「1970年代初頭の視聴者には、この作品はハードコア過ぎた」映画の公開に伴うエッセーの中で、シネリシャス・ピクスの副社長で、権利獲得と流通を担当するデニス・バルトークは述べている。「あまりにも奇妙過ぎるという印象で、『グラインドハウス』のディストリビューターでさえも、試しにやってみようという感じだった。これは初めての、真のエロティック長編アニメーションだ」

「色彩に富んだ要素だが、既成概念の枠を超えるようなものがそこにはあった」と、アニメ・ニュース・ネットワークの総合編集長を務めるマイク・トゥールは語る。「虫プロの創設者でありアニメ界の父である手塚治虫は、メディアの現状を打破し、大人をターゲットとした作品を作りたがっていた。ベラドンナが出てきたとき、一般の人々はその準備ができていなかった。『これまでに作った中で最悪のアニメ』という評判だった。だが、今にして思えば、それほど最悪ではない。そこには深い鑑識眼がある」

1960年代に虫プロは、愛らしく、あちらこちらで耳にする『鉄腕アトム』シリーズを作り出し、長きに渡って名声を得た。しかし『千夜一夜物語』(1969年)、『クレオパトラ』(1970年)を含む同スタジオの3部作の3作品目である『哀しみのベラドンナ』は、事実上公開時に相手にされず、欧州ではわずかに配給されたが米国本土では一度も配給されることはなかった。作品の公開が一部原因となり、既に支払い能力に瀕していた虫プロはその後倒産した。だが、その後数年間で虫プロは多くの人々に愛される映画製作者(出崎統、杉井ギサブロー)とスタジオ(サンライズ、マッドハウス)のための出発点となる。

映画製作者にとって、最も衝撃的なアニメーション映画の一つである作品の第二の人生は、他の人々と同じく全くの驚きであった。「過去40年間、全くそれについて考えていませんでした」と、佐藤は笑う。そして「この作品が脚光を浴びる機会を得ることができて嬉しいです」と続けた。

ベラドンナの原画を手掛けた深井国に、この映画を観たことがない人にどのように説明するか尋ねてみると、即座に彼はこう答えた。「家族向けではありませんね」

1973年公開当時の日本版予告編

(C)虫プロダクション

Translation by Yuka Ueki

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