なぜボウイは、アラジン・セインを生み出し、ジギー・スターダストを葬り去ったのか

1973年、ハマースミス・オデオン(現在のハマースミス・アポロ)で開催されたコンサートでのデヴィッド・ボウイが見せた『アメリカの影響下にあるジギー』。ボウイは同年にリリースしたアルバム『アラジン・セイン』で、彼の華やかな幻想の暗部に浸っていた。(Rex Features/PPS通信社)

1973年に発表されたアルバム『アラジン・セイン』は、ボウイが彼の華やかな幻想の暗部へと浸るのを目撃した。

ジギー・スターダストよ、安らかに眠れ。そしてアラジン・セインよ、永遠なれ。ジギー・スターダストの壮大な物語で世界を魅了してからわずか1年後、ボウイは髪型を変え、顔に稲妻のメイクを施して、新たにジギーより少し暗い、魅力的な人格を生み出した。「1973年のあるとき、すべてが終わることがわかったんだ」とボウイは語る。「一生ジギーのキャラクターにとらわれたくなかった。次の領域に移ろうとしてアラジン・セインを演じたんだと思う。アラジン・セインはジギーのイミテーションだが、彼よりも少し弱々しい二次装置だ。僕の意識の中では『ジギー、ワシントンに行く』という感じだった。アメリカの影響下にあるジギーだったんだ」。

それが邪悪な影響だったのは間違いない。『アラジン・セイン』はジギー・スターダストよりも荒々しく、不快でけばけばしいアルバムだ。ツアー中に書かれた作品であり、アメリカンカルチャーの持つ退廃と不道徳さの洗礼を色濃く受けている。LP盤では、曲名とともに地名が記されている。おそらくそれは曲のインスピレーションを得た場所だろう。『あの男を注意しろ』はニューヨーク、『ドライヴ・インの土曜日』はシアトルとフェニックス、『気のふれた男優』はロサンゼルス、『薄笑いソウルの淑女』はロンドンへと戻る。しかし彼はどこにいても安っぽいセックスとドラッグを目にする。そしてアメリカでスポットライトの中に照らされたとき、ボウイは自分がそれを好ましく思っているのか確信できなかった。

Translation by Yoko Nagasaka

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