ビヨンセは、どのように新作『レモネード』で黒人女性の心の声を表現したのか

『レモネード』は、2016年のスーパーボウルのハーフタイム・ショーで披露された『フォーメーション』の長いイントロだ。別の種類の「黒人の大移動(Great Migration)」の集大成として、『フォーメーション』は、『レモネード』が取り上げる空間(地方と都市)と時間との間の動きを暗示していた。しかし、『フォーメーション』自体は、情報を得るための肉体的、感情的、社会的労働―言うなれば、変化―を私たちにほとんど伝えない。偽りと沈黙を強いられてきた黒人女性が、回復力と抵抗力を歌にして示すという生来持つ世代間の知恵の強さを通して、壊され、洗礼を受け、炎の中で生まれ変わり、復活した結末が、オーディオ・アルバムの最後の曲『フォーメーション』なのだと、『レモネード』が教えてくれる。(訳注:『黒人の大移動』とは、1900年代前半、数多くの黒人が人種差別の激しい南部を離れ、北部へ移動した現象のこと)

黒人女性である私たちにとって、感情を表現することは、言葉の面でも身体面でも危険になり得る。そして、真実を語ることで、時に暴力や死に至る。しかし、『レモネード』は、黒人女性の感情をないがしろにするときに私たちが失うすべてのものを音と視覚で強調する、リスクを伴わない感情空間を提供する。スクリーンと私たちの心の中で。女性蔑視的なカニエ・ウェストの別れ話、めかしこんで遊び歩いてばかりいる女の子にもらったドレイクの絶え間ない痛み、鬱を引き起こす資本主義とのケンドリック・ラマーの闘いなど、黒人男性の感情にあふれた音楽界において、『レモネード』は、黒人女性が暗く憂鬱な存在であることをどう感じているか、そして長い間感じてきたかを探る、悲喜こもごもの空間を取り上げている。

『レモネード』 は、途中でカントリーソウルやロックンロールに寄り道する、スピリチュアル(霊歌)からトラップにまで及ぶウーマニストのソニック・メディテーション(音の瞑想)だ。ビジュアル・アルバムの風景は、過去と現在の南部の都市部と地方部を通して、南部の黒人女性の歴史と動きの一貫した図像で埋め尽くされている。映像は、『プレイヤー/死の祈り』とジュリー・ダッシュ監督の『自由への旅立ち』を象徴し、神聖なナイジェリアのボディ・アートの風習を中心に据え、ワーザン・シャイアの詞と祖母たちの反省を利用し、物事を奥底から燃え上がらせ、生還させ、回復させることで、黒人女性がブードゥー・マンにも魔法使いにもなるルイジアナのプランテーションの空間に何度も何度も戻る。この豊かで、幾重にも重なる背景は、陳腐なタブロイド紙の情報を暴露するためのキャンバスではない。(訳注:『ウーマニスト』は、黒人女性の権利拡張を主張する人のこと。アリス・ウォーカーによる造語『ウーマニズム』に由来する)

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『レモネード』には、迫真性と現実の間の根本的な緊張感のようなものがあるが、ビヨンセは私たちに、回想録、瞑想、そして祝福として本作を勧める。「黒人の命は大切だ(Black Lives Matter)」というムーブメントの中で生まれた多くの作品と同様、私たちは、関係の不安を文字通り、黒人女性と抑圧的な近代の制度との関係の象徴として読まなければならない。初めに祈りを表すことによって、ほかのメディア(特にテレビのリアリティ番組)が推奨する黒人女性の痛みと怒りという無慈悲な憎しみの開示を、『レモネード』は最初から拒絶する。代わりに、黒人女性の錬金術師の旅はスタート地点にすぎないというビヨンセの説明をもって、誰よりも犠牲となり、誰よりも愛してくれる女性たちや少女たちを傷つけることを止めようとしない、損なわれた家長や無慈悲な国家主体からの何世代にもわたる呪縛と戦い、黒人女性のさまざまな感情のための空間を正当化し作り上げることを、『レモネード』はテーマにしている。

Translation by Naoko Nozawa

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