プリンスのペイズリー・パーク訪問記:紫の殿下との魅惑の一日

私の頭のなかにはたくさんの質問があった。素晴らしい楽曲のすべてについて話したかったし、どうやって書いたのか、何からインスピレーションを得たのかについて話したかった。初期のツアーがどんなものだったのか知りたかった。だが私の最初の質問は、対話を始めるためのソフトなものにした。アリスタ・レコードとの契約について尋ねてみたのだ。私としては、今回のインタビューのアレンジについて、ちょっとした社交辞令のつもりだった。だが、返ってきたのは深遠で、いかにも芸術家然とした湾曲した答えだった。それは、猛烈な勢いでペンを走らせてもかろうじて書き留められる程度だった。

私は昔のレコードについての会話に持って行こうとしたが、私が「あなた」と呼んでいたプリンスには、明確なアジェンダが用意され、それは私の持っていたアジェンダの役には全く立たないものだった。私は彼の話に頷き、興味のあるふりをしてペンを走らせたが、役に立ちそうなものは書き留められなかった。ただ一度のプリンスのインタビューのチャンスが大失敗に終わりそうだと覚悟した。プリンスの言葉は漠然としていて、彼にとっては明らかに意味のあるもののようだったが、私はまったく理解できず、私の読者が理解できるかも不安だった。話には、共鳴も接点もなかった。プリンスはシャイで、防御的で、少しばかりエキセントリックだという当時の私の考えは当たっていた。しかし、彼も、はっきりと心を開かず、社会性に乏しい他の人間と変わらなかった。でなければ、彼が心を開いて私と会話することなどなかっただろう。

インタビューが絶望的なものになろうとしているなか、私は新しいアルバムにちなんだ音楽についてのコアな質問をしようと決意した。これなら彼は話をしたがるだろうと。アルバムの中の一曲(『プリティマン』)について、私は、ザ・タイムに向けて書かれた曲のようだと彼に言った。彼の目が輝いた。彼はラリー・グラハムの方を向いて微笑んだ後、モリス・デイを思い浮かべて書いたと告白した。また私は彼に、別の曲のドラムのプログラミングが『ドロシー・パーカーのバラッド』を少しばかり思い出すと話した。ここでもう一度閃光が見えた。そこから私は曲作りのインスピレーションについての話を引き出せるようになった。アンハッピーで、ワーナーとの訴訟問題が続くさなかでさえ、曲を作らざるを得なかったのだろうか。私は1996年のアルバム『カオス・アンド・ディスオーダー』にただよう陰鬱さを引き合いに出した。どの作品でもその時感じている気分を映しているよと彼は言った。

こうした音楽談義で彼はリフレッシュしたようだった。形式的なインタビューの後の会話が続く中、彼は部屋の中を飛び回り始め、ものまねをしていた。私はこれが終わって欲しくないと思った。

「私はマッドハウスのレコードが大好きなんです」と、1987年にリリースされた2枚のインスト・アルバムでの彼のフュージョン・プロジェクトを引き合いに出して彼に伝えた。

「あっと言う間にできたんだ。あれは楽しかった」。

Translation by Kise Imai

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