クエストラヴ、ショーン・レノン等、多くの著名人がATCQファイフ・ドーグを偲ぶ



ファイフ(1970-2016)は永久不滅だ。1991年の9月、俺はタリクに会いにペンシルべニア(ランカスター)にあるミラーズヴィル大学に行った。マイス・デイビスが亡くなってすぐの時で、彼のポスト・ジャズの作品を聴いてたんだ。サウンド・オブ・マーケットに行って、『ネフェルティティ』と『イン・ア・サイレント・ウェイ』を買ったんだけど、その日に買った唯一ジャズじゃないアルバムが、皮肉にも一番ジャズってたんだ。@ATCQの♯『ロウ・エンド・セオリー』だ。あの日は雨で、電車に乗ってる間『ネフェルティティ』/『フォール』の2曲で腹いっぱいになってさ。トライブがデビュー・アルバムよりも良いアルバムを作ったんじゃないかって疑ってたんだけど(1週間以内にソース誌で5本マイクの評価をもらってたから、俺は正しかった。)、キャンパスに着いてからリックと一緒に聴くために取っておきたかった。それで90分かけて彼の寮に着いて、俺たちは問題のCDのパッケージを破って開けたんだ。(1991年のCDのパッケージを開ける時のイライラ度は表現しきれないけど、環境保護主義者がビーツのヘッドフォンのパッケージが全部ゴミになる時に感じる怒りをイメージしてくれ。そんな感じだから。)本当の最高傑作ってのは、初めて曲を聴いた時にどんだけ印象的だったかで分かる。リックと俺はそんな瞬間を何回か経験したけど、初めて『バギン・アウト』を聴いた時、俺とタリクは友情の中でおそらく一番の"また聴きてぇ!"って顔をしてた。(あの頃のMCの目標は、あの"また聴きたい!!!"って瞬間を作ることだったんだ。すげぇラップを聴いたり衝撃を受けるとさ、"マジかよ!!!"って感じで、何回も何回も聴くわけだよ。マリク・"ファイフ"・テイラーのヴァースは、ヒップホップ史の中でチャレンジ/アイコニックな瞬間だった。ヒップホップ界の偉いヤツはみんなただ・・・このアルバム(それから他のアルバム)の彼の全力で容赦ないラップに驚かされたんだ。で、昔のラジオドラマ『サスペンス』のエピソードを聴いてる時みたいに、俺たちは信じられなくてスピーカーとお互いを見つめ続けたんだ。"ファイフはヤバイ!"ってね。『シナリオ』が流れた時、神に誓って言うけど、あの瞬間、大人になったらこんな音楽を作りたいって思ったんだ。(はい、はい、親父"本当の音楽でちゃんと食っていくには、ジュリアードとかカーティスに行かなきゃいけないんだよな")でも親父は、ファイフと彼のグループが俺の運命を決めたなんて知らなかったんだ。あの時から後悔なしさ。サンキュー、ファイフ!─クエストラヴ

Translation by Miori Aien

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