ジョージ・マーティンはいかにして世界を変えたか

ジョージ・マーティンは、初めからビートルズの直感を信じ、彼らが「音楽」で成し遂げたい夢を理解していた。

ジョージ・マーティンの賢明かつ無私無欲のアプローチで、ビートルズはポップを作り替えた

ジョージ・マーティンのキャリアで最も重要な1日(ザ・ビートルズをプロデュースできた天才はジョージ・マーティン以外にはありえなかったであろうことを証明してみせた日)は、1963年2月11日である。

この日ビートルズは、13時間のマラソンセッション1発で、デビューアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』をレコーディングしたのだ。これはビートルズに対するマーティンの過激なまでの信頼の表れだった。彼はこのリヴァプール出身の名もない少年たちにオリジナル曲を歌わせ、カヴァーバージョンも自分で選ばせた。おのおのの楽器をそのまま演奏させ、北部の労働者階級のなまりも直さなかった。このビートルズをそのままアンプの前に連れてきて、ライヴ演奏を直接2トラック録音するという愚考をやらかすことができたプロデューサーは、この業界には他にはいなかっただろう。作曲のクレジットに自分も一枚かんでおくという常識すら、マーティンは持ち合わせていなかった。しかし、マーティンが彼らのクレイジーなアイデアを実現させた全ての瞬間、他のアーティストなら模倣するだけで一生かかってしまうようなトリックの発明、ロック史上最も尊敬されるプロデューサーとしての名声の確立など、マーティンがビートルズで成し遂げることになるあらゆることの原点が、この瞬間にあったのだ。

ジョージ・マーティンがビートルズを発掘した時、彼はすでに音楽ビジネスの仕組みを知り抜いた専門家であり、プロであった。しかし彼がビートルズを耳にした時、これまでに培った自分の専門性を全て投げ捨てて、彼らを自由にやらせてみるのが賢明だという、理解しがたい感覚を抱いたのだ。この決定が、それ以降の世界の音楽の聴き方に影響を与えた。ビートルズのアイデアを信頼したのは彼だった。(ブライアン・エプスタインもこの若者たちを愛しはしたが、彼ならビートルズに『ベサメ・ムーチョ』を歌わせ続けたかもしれない。)ビートルズが達成したことは全て、ジョージ・マーティンがビートルズならうまくやっていけるというヴィジョンを持っていたからこそなのである。

Translation by Kuniaki Takahashi

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