映画『キャロル』制作の裏にある真実の愛の物語とは

過去にも『The Price of Salt』を映画化しようという試みが一度あった。それは弱く短命だった。シェンカーによると2人の恋人がアメリカを横断する感傷的なロードトリップを描いた物語であり、キャロルはカールへと名前を変え、雪に覆われた中西部はテキサスへと変えられた。驚いたことにこの作品はあまりにも慣習にとらわれた平凡なものだと考えられた。

ヘインズのバージョンはスタッフの変更や、経済的な懸念、そしてナジー曰く「どうやって人が脚本を書くのかについて、人がいつも知りたいと思うことすべてと、知りたくないと思ういくつかのこと」が続く、長い苦難の末に完成した。本の権利が人手に渡ったとき、プロデューサーのエリザベス・カールセンはスイスに飛び、映画化の権利を彼女に売ってくれるようハイスミスのヨーロッパにおける出版人であるディオゲネス・ヴァーラグを説得した。「遺産管理人はそれに利用する価値があると考えていました」とカールセンは語る。彼らは断固として独立系のプロデューサーには売らない姿勢を取っていたが、自称"テリア"というほどしつこく諦めない性格のカールセンが最終的に彼らを説得した。




ヘインズは他のプロジェクトで、ある俳優を逃してしまった後、オレゴンの海沿いに滞在しこの作品の脚本に向き合った。「私はハイスミスの作品を読んだことがなかったが賞賛していた」と彼は語る。ハイスミスのことはアルフレッド・ヒッチコックの『見知らぬ乗客』のような映画化作品で知っていたという(ハイスミスは例外なく映画化作品に批判的だったと彼は認めている)。しかし、ヘインズの他の作品—ボブ・ディランの神話を万華鏡のように描いた『アイム・ノット・ゼア』やハリウッドの往年の作品『天はすべて許し給う』にオマージュを捧げた『エデンより彼方に』と同様、今作品も深く練り上げられているが曖昧であり、物語はコンテクストの周りを回転しているが、余白を糧にしている。

「いつも穏やかな緊張感があった」。ヘインズはこの作品の撮影過程が常に何かを取り除き、会話をジェスチャーに置き換え「言葉を減らし、削除していく」ものだったと語る。「私はそれがマーラやブランシェットから提案されるといつもスリルを感じた」と言う。「例えばマーラから"彼女がこれを言う必要がある?"と聞かれたことがあった。"ないね"と答えたよ」。いくつかのシーンでは、パールをつけた幽霊のようなブランシェットが果てしなく続くライ麦畑の中を舞うように部屋の中を漂っている合間、マーラは明るい表情でただ座っているだけだ。姿勢よく座っている姿をエロティックに見せる、稀有な作品である。

原作では残酷に関わってくる男たちを、この映画では矛盾した星から来た大使のように描いている。彼らは善意の人ではあるが苛立ちながら、小さな共通基盤をどうにか持とうとしている。キャロルの夫のハージ(苦しむ善意の男を演じるのはカイル・チャンドラーだ)はキャロルの無言の一瞥を読みとることができない。キャロルは彼の強制的な命令を理解していない(ブランシェットの言葉は彼女が真に当惑していることを表現している)。そして2人は映画の大部分でお互いの道を分かり合えない。

Translation by Yoko Nagasaka

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