「5人目のビートル」を超えたジョージ・マーティンという存在

そして彼は自分の仕事をした。その結果、この楽曲はその10年にスタジオで制作された最も素晴らしい一握りの作品に劣らないものになった。マッカートニーがベースを、レノンがリズムギターを、ハリソンがリードギターを、スターがドラムを演奏したと表現するならばマーティンはスタジオを演奏したと言えるだろう。もしくはビートルズが演奏するのを助けたと。

現実的に考えて、5人目のビートルやその仲間という言葉はこの男を軽く扱うものだろう。4人のビートルズの間に調和があったのと同様、彼らのプロデューサーには恐るに足る自治権があったのである。ある人物が他の人を圧倒するかのように浮かび上がってきたとき、あなたが見ているのは、類稀な才能によって導かれる天才、そして無限の何か、もしくは4人と5人という些細な考えを大きく超えるものを目にしているのである。



ビートルズのプロデューサーとして知られるジョージ・マーティンは2016年3月9日に亡くなった。

Translation by Yoko Nagasaka

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE