放送終了から50年、アニメ版ビートルズを振り返る

ザ・ビートルズの名を冠したテレビアニメ番組は1965年に放送が始まり、より有名になった映画、『イエロー・サブマリン』の土台となった。 画像:Youtube

『イエロー・サブマリン』の土台となったマニアックで奇抜なアニメ番組をひも解く

完璧主義のビートルズ・コレクターにも、1965年9月25日、約50年前にABCで放送のアニメ番組『アニメ・ザ・ビートルズ』については知らないこともあるだろう。アニメ版ビートルズが好きだと言う人のほとんどは、テレビアニメの方ではなく、子供から大人にまで人気のある1968年の希代の冒険映画、『イエロー・サブマリン』のファンのようだ。

しかしここで考えるべきなのは、『アニメ・ザ・ビートルズ』なくして『イエロー・サブマリン』が存在し得ただろうか、ということだ。このアニメ番組は過小評価されているが、土曜の朝の放送時間になると視聴者はテレビの前に座り、眠気を払い、シリアルを食べながらペパー・ランドとまではいかなくてもちょっと変わった愉快な世界へ行くことができた。

アル・ブロダックスは、『イエロー・サブマリン』と『アニメ・ザ・ビートルズ』両方のプロデューサーだ。テレビシリーズは、映画の試作のようなものだった。ABCの番組制作に関与しなかったビートルズは、テレビシリーズはバカげていると思っていたし、少なくともビートルズが解散するまではその考えは変わらなかった。無理もないだろう。なぜならアニメーションのメンバーの声は滑稽な程調子はずれで、ジョージの声はかすかにアイルランド訛りになったりスコットランド訛りになったりした。リンゴはリバプールの方言でわけの分からないことをまくしたて、レノンは時々アメリカ人の体育教師のように話し、ポールはウッドハウス(訳注:ユーモア小説の大家として知られるイギリスの小説家)のようなキャラクターで博学な人をあざ笑った。

しかし、そういったことは実は重要ではなかった。なぜなら『アニメ・ザ・ビートルズ』の狙いは、視聴者が思い描きそうなビートルズの独特の世界を描き、メンバーだけが住んでいそうな場所にファンをいざない、受け入れ、楽しませることだったからだ。視聴者がアニメーションを楽しんだように、ビートルズも、つまり解散後の4人も『アニメ・ザ・ビートルズ』のファンになった。彼らもアニメーションの世界に引き込まれたようだ。

「番組を見るといまだに吹き出してしまう」と1972年にジョン・レノンは言った。ジョージ・ハリソンは、「最低でバカバカしいところがいいんだ。わかるだろ?」と1999年にコメントしている。

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第38話『Tomorrow Never Knows/I’ve Just Seen a Face』のジョージ、ポール、ジョン 画像:YouTube

Translation by Satoko Cho

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