(Photo: Gijsbert Hanekroot/Getty)

イーグルス70年代の傑作から、80年代のソロヒット曲まで、逝去したシンガー・ソングライターの名作選

「最初、僕らは負け犬だったんだ」。70年代初期のLAロックシーンにイーグルスが生まれたばかりの日々のことを、グレン・フライはかつてこう振り返ってくれた。「ジャクソン・ブラウン、ジョニ・ミッチェル、クロスビー・スティルス・アンド・ナッシュのすぐそばにいて、僕は(ドン・)ヘンリーとこのパッとしないバンドを作った。「こんなビッグネームたちと肩を並べるには、ものすごく良い曲を書かないとな」なんて話し合っていたものだよ」

フライのそんなミッションは達成された。フライがイーグルスで作った曲は、ロック史上で最も愛され、最も成功していると言る。優秀なギタリストであり、魅力的なシンガーであり、有能なソングライターでもあったフライは、まさに3拍子揃った天才だった。『ならず者』『呪われた夜』『テキーラ・サンライズ』『いつわりの瞳』『ホテル・カリフォルニア』『駆け足の人生』『ニュー・キッド・イン・タウン』――フライがヘンリーやその他のイーグルスのメンバーと共作したこれらのヒット曲は、70年代のおおらかなムードにぴったりのメロディと、同じ年代の世俗的な疲弊感やシニカルさを映し出した歌詞が絡み合っていた。

イーグルスが第1期の活動を終えた80年代、フライは他のメンバーと比べてもソロ活動が順調で、『ユー・ビロング・トゥ・ザ・シティ』『スマグラーズ・ブルース』といったヒットを記録した。90年代以降はレコーディングも散発的になっていったが、イーグルスのコンサートで、クラシック・ロックのラジオで、彼の音楽はずっと我々の側にあった。忘れられないフライの傑作を見ていこう。

『ランブリン・ギャンブリン・マン』 (1969)


フライが本物のレコーディングを初めて味わったのは、この強烈なガレージ・ロックだった。同郷ミシガン州出身のボブ・シーガーのバックで、フライはアコースティック・ギターをかきならし、バック・ヴォーカルを歌ったものだった。サビでのフライの歌を聴いてみよう。「ランブリン・マーン」のところで高音部を歌っているのがフライだ。「最初のサビでグレンがちょっとフライングしてるのが聞こえるよ。あれはデカい声だった。元気いっぱいだったね」とシーガーはドキュメンタリー作品『駆け足の人生~ヒストリー・オブ・イーグルス』の中で語っている。フライ自身はこう振り返っている。「デトロイト時代の僕にとって最重要な出来事は、ボブ・シーガーと出会ったことだよ」

『テイク・イット・イージー』 (1972)

イーグルスがデビュー・アルバムを発売する直前、グレン・フライはジャクソン・ブラウンのアパートに居候している金欠のシンガー・ソングライターにすぎなかった。ある日ブラウンは、同居人に作りかけの曲『テイク・イット・イージー』を聴かせてみた。「僕が作ったのは2番の最初の「アリゾナ州ウィンズローの街角に立って」という歌詞のところまでだよ。それに続く歌詞で「僕を見るためにフォードを運転していた女の子がスピードを落とした」なんてことを書けたのはグレンだけだろうね」とブラウンは語っている。こうして完成した曲はイーグルスのデビュー・アルバムの1曲目に配され、あわせてデビュー・シングルになった。チャートも急上昇して1位を獲得、これでイーグルスはアメリカで最もホットなバンドに押し上げられたのだった。この曲は今でも有名なので、アリゾナ州ウィンズローには実際にその一瞬を記念した銅像が建っていて、その傍らにはフォードのフラットベッド・トラックに乗った女の子の絵が添えてある。

Translation by Kuniaki Takahashi

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