ビートルズ『ディア・プルーデンス』誕生秘話:プルーデンス本人が語るインド瞑想合宿

プルーデンス・ファロー(左端)―1968年3月ビートルズ、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーらと共に―は、ビートルズとの交流を回想記『Dear Prudence: The Story Behind the Song』に綴った。(写真提供:ハルトン・アーカイブ)

有名な『ホワイト・アルバム』の曲の主人公、プルーデンス・ファロー・ブランズがマハリシやビートルズとの活気ある日々を回想する

1968年1月、当時20歳のプルーデンス・ファローは、インドのリシケーシュでマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの下で瞑想を学ぶという2年がかりの夢をようやくかなえた。姉で女優のミアに付き添われて現地入りしたファローの後に到着したのは、他でもないビートルズメンバーとその恋人たちだった。ビートルズのインド滞在は記録されている通りだが、4人はマハリシの下で悟りを目指しただけでなく、曲を書き、一般的に『ホワイト・アルバム』として知られているセルフタイトルの2枚組アルバムを制作し、その年の終わりにリリースした。

ファローは、合宿所でビートルズを取り巻いていた喧噪にのまれることなく、自室で長時間の瞑想に集中していた。1つのことに熱心に向かう彼女の姿はジョン・レノンにインスピレーションを与え、レノンは『ディア・プルーデンス』(ローリングストーン誌が選ぶ最も優れたビートルズの曲ベスト100で63位)を書き、後に『ホワイト・アルバム』に収録した。レノンはプレイボーイ誌のインタビューにこの曲について語り、記事はレノンの死後1981年に世に出た。レノンによると、ファローは「滞在先の小屋から出て来なかったので、僕らは彼女を外に引っ張り出したんだ。3週間こもりきりで外に出ようとしなかったからね。彼女は誰よりも先に神様を見つけようとしていた。マハリシの合宿所では、誰が先に宇宙的な体験ができるか競っていたんだよ。」

映画監督兼脚本家のジョン・ファローと女優モーリン・オサリヴァンの娘、プルーデンス・ファローの10代は波乱に満ちていた。精神的に満たされたいという願いは、やがて彼女を瞑想とマハリシの世界に導いた。現在プルーデンス・ファロー・ブランズは、結婚し子供を持ち、フロリダで超越瞑想を教えている。近年出版した回想記『Dear Prudence: The Story Behind the Song』には、ハリウッドでの幼少期からインドを訪問した時代までが記されている。今回ファローは、合宿所でのビートルズとの思い出や『ディア・プルーデンス』を初めて聞いた時のこと、そして半世紀に渡ってこの曲が彼女にとってどのような存在だったか、ローリングストーン誌に語った。

Translation by Cho Satoko

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