マドンナ ミュージックビデオベスト20:監督が明かす制作秘話

マドンナ ミュージックビデオベスト20(RollingStone)


3『オープン・ユア・ハート』(1986)

「あのとき、僕たちは身体やセクシュアリティの自由に関する実験をしている時期だった。だからピープショーは僕のアイデアだった」とこのミュージックビデオの監督である、ジャン・パブティスト・モンディーノは語る。「でも彼女のことを外で待っているこの小さな男の子にはどこかかわいらしいところがあった。純真で愛らしいところがね」。

黒いビスチェをまとい、手袋とウィッグを外す。『オープン・ユア・ハート』はマドンナのミュージックビデオとしては明らかなリスクを負った初めての作品である。しかしこれは衝撃的な作品ではない。フェデリコ・フェリーニとボブ・フォッシーをミックスさせたものではあるが、この作品はクラブの外壁に飾られているアールデコの芸術家タマラ・ド・レンピッカの絵画から、キャラクターたちの色とりどりで冷たい外見まで、すべてがゴージャスな作品だ。素晴らしい相乗効果の中でマドンナは背中を反らし、今ではアイコンとなったハーブ・リッツによるアルバム『トゥルー・ブルー』のジャケット写真を模す。この楽曲もこのアルバムに収められている。「彼女がこの写真を作ったからだよ。そうだろう?」とモンディーノは語る。「彼女が君に作品を与えてくれるんだ。君はそれを掴み取る準備をしていないといけない」

監督 ジャン・バプティスト・モンディーノ: 
セットは一から製作した。実際にこれを建てられる場所を見つけたんだ。僕たちはこの建物の前面と、中に老人のいる小さなブースを作った。これは僕にとってのハリウッドの時代だと思う。ハリウッド的な心理状態にあったんだ。クレーンを使ったり、建物を造ったり。僕たちはとても若かったんだ(笑)。だからすべてが可能だったんだと思うよ。僕はその偽物っぽさが好きだった。このビデオは長い間見ていなかったけれど改めて見たときは「これはとてもナイーブだ」と言った。今の僕が好きなものに比べると出来が悪い。当時のような機材は使わないし、今はみんなもっと技術を持っている。でもこれには何かかわいらしいところがある。僕は結末の部分が好きだ。2人が互いを追いかけて走っていくところはチャーリー・チャップリンの映画のエンディングのようだ。非常に感動的な瞬間だ。

このビデオに関するいい話は、これは僕が彼女と仕事をした最初の作品だということかな。僕はマドンナにこう言った。「黒いウィッグをかぶってくれるともっとよくなるはずだってわかっているよね」って。彼女はブロンドだったから。彼女がブロンドのショートヘアなのはよく知られていた。だから撮影の前の数日間、僕たちはヘアとメイクアップのアーティストとミーティングをした。彼らは彼女に衣装とウィッグ、その他もろもろを用意した。そして僕が入っていくとみんなで大絶賛しているんだ。「オーマイゴッド、彼女はすごく美しいよ」とかね。そしてウィッグをつけた彼女が振り向いて僕を見た。そしてこう言った。「OK、モンディーノ。どう思うか言って」って。マドンナが君に何かを尋ねたときには、それは彼女が君に何かを尋ねているんだ。単なる文章ではないんだよ。本当にそう聞いているんだ。

だから僕は彼女を見てこう言った。「素晴らしいよ。でも正直言って、ブロンドの方がいい」とね。彼女は僕を見て、その日僕を信頼してくれたんだ。なぜなら自分にはブロンドの方が似合うと誰よりもよくわかっていたから。その日、多分そのときに僕は彼女の信頼を勝ち取ったんだと思う。

2 『レイ・オブ・ライト』(1998)

「おそらくこの作品は今でも、最も撮影に時間がかかったミュージックビデオだろう」と監督、ジョナス・アカーランドは振り返る。彼はニューヨーク、ロサンゼルス、ラスベガスを回って、早送りで見せるかのようなこのパスティーシュを撮影した。「14日くらい撮影していたと思う。でもスタッフは最小限だった。一台の車に乗り切れるくらいのスタッフというのが僕の考えだった。僕たちはアングルを決め、準備をして、半時間くらいくだらない話をして、待っていた。こういう撮影をするのにはものすごく時間がかかるから」。このクリップはアートシアターが好む、1982年の映画『コヤニスカッツィ/平衡を失った世界』(アカーマンはこの作品をまだ見ていない)に似た感覚を呼び起こす。立て続けに起きる行動を固定して撮った映像で構成され、マドンナのコンテンポラリーハウスミュージックに対して熱狂的なエネルギーを与えている。アカーランドはマドンナにMTVのビデオミュージックアワードのビデオ・オブ・ザ・イヤーを獲得するという歴史的な作品をもたらした、唯一のコラボレーターである。

ジョナス・アカーランド(監督):
僕たちはストックホルムでフィルムを使ったカメラで何回かテスト撮影をしていた。だから彼女に僕が話していたテクニックを見せることができた。テスト撮影は実際とてもうまくいって、最終的なビデオに使われた。だからビデオの中にはストックホルムで撮影したショットがたくさん使われている。

もちろん、デジタルでは撮影しなかった。僕たちは大きな35mmのカメラで撮影した。ある一定の長さのフッテージを作るために1分あたり、もしくは1秒あたり何コマの映像が必要なのかを教えてくれる図表を、製作の間ずっとポケットに入れていた。1つのフレームを10秒毎に撮影するとしてみよう。そうすると5秒の映像を作るのに30分撮影しないといけない。そういうものなんだ。

カメラをバスに乗せ、ニューヨーク中をドライブしたのを覚えているよ。20フレームを撮影するのはものすごい努力がいるよね(笑)。これはとても速いスピードだったから、実際にビデオでどういうことになるのかを考えるのは重大なことだった。全部のショットが大切だったんだ。撮影したものはすべて使ったと思う。楽曲が長かった。編集しているときに長すぎると思ったことを覚えているよ。撮った映像を全部使い尽くしたからね。

当時、僕は本当にVMAで賞を取るとは思っていなかった。会場にはスウェーデンの友達たちと一緒に出席してビールを飲んでいた。ただでビールが飲めるなんて素晴らしいって思いながら。でも振り返ってみると、あれは僕の人生が変わった瞬間だった。

1『エクスプレス・ユアセルフ』(1989)

これはマドンナとデヴィッド・フィンチャーの初めてのコラボレーションであり、そして彼女にとって最も優れた作品である。そして最も費用がかかった作品の1つでもある(500万ドルが投入された。これは当時、最も費用のかかったミュージックビデオだった)。この作品はフリッツ・ラングの映画『メトロポリス』に深く影響を受け、巨大なマシーンと格闘する男たちを映し出すSFチックな高層ビルと超現実的な工場のシーンがある。この作品はフィンチャーの表現主義的な傾向と、様々な形に姿を変えるマドンナの魅力が完璧に混じり合った作品である。

このクリップでマドンナは様々なバージョンの彼女を並べて見せる。それぞれのバージョンが異なる誘惑を仕掛けてくる。パンツスーツを着た女性、片眼鏡をつけたマレーネ・ディートリッヒのような女性、コルセットをつけたシュミーズ姿のコケットリーな女性、ベッドに首輪でつながれた受け身の妻。その合間にフィンチャーのカメラは急降下し、クレーンでつられ、見事なセットの内部やライトに照らされて影が色濃く落ちる野原、濃い靄のたち込める中をさまよう(フィンチャーがその後撮った、映画監督デビュー作の『エイリアン3』ではこの美学の一部が改めて目的を果たしている)。

「この作品は私が最もたくさんのものを注ぎ込んだ作品」とマドンナは語る。「私はすべてを監督したわ。セットの建設、みんなの衣装、メイクアップアーティストやヘアスタイリスト、撮影監督、すべての人とミーティングをした。キャスティング、ぴったりの猫を見つけること、すべての側面に携わった。まるでちょっとした映画を作っているようだった。基本的に私たちは座って思いつくことができるアイデアを全部、そして求めるものも全部上げていった。私たちが求めるすべてのイメージ—私はアイデアをいくつか持っていたの。例えば猫やメトロポリスのアイデアね。絶対にあの映画の影響を出したかった。あの男たち—勤勉で整然と働く労働者たちのシーンを出したかったの」。

『メトロポリス』も『エクスプレス・ユアセルフ』も同じ引用句で終わる。「脳と手の媒介者は、心でなくてはならない」。しかしこれはラングにとっては労働者とその支配者が到達する和解の口実だったが、マドンナにとってこれは創造における信条なのである。

Translation by Yoko Nagasaka

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