マドンナ ミュージックビデオベスト20:監督が明かす制作秘話

9『ライク・ア・ヴァージン』(1984)

「そのときすでにマドンナは『ローリングストーン』誌の表紙を飾っていた」ワーナー・ブラザーズのクリエイティブ・ディレクターのジェフ・アエロフは「I Want My MTV」の中でこう語った。「だから私たちはベニスに行った。他のたくさんのくだらない仕事のようにね。どれくらい金を使ったのかわからないよ。15万ドル? 17万5000ドル? いずれにしてもそれまで1本のビデオに使った金よりもはるかに多かった」。1984年の『ボーダーライン』に続く2回目のコラボレーションで、監督のメアリー・ランバートはベネチアの運河でポップスターをゴンドラに乗せてを撮影した。(橋が近づくとアエロフはマドンナに体をかがめるように言っていた)。ライオンのマスクをした男性が餌を狙うかのように彼女につきまとう。しかし本物のライオンがスポットライトを奪って終わる。

監督 メアリー・ランバート: 
大きな猫と仕事をするのはこれが初めてだったの。この作品以降は仕事をしているけれど。あのライオンは訓練すら受けていなかったのよ。現地のラインプロデューサーがサーカスの人と話をつけてくれたの。あれはサーカスのライオンなの。マドンナと撮影監督と私だけがあのライオンと一緒に柵で厳重に囲まれたアリーナの中にいたとき、トレイナーが「念のため」って柵の外に立つまでそれを知らなかったのよ。ある場面でライオンがマドンナの股間を嗅ぎはじめたの。私は彼女が死ぬと思ったわ。

8『ヴォーグ』(1990)


これは当時神童と言われたデヴィッド・フィンチャーとマドンナの3度目のコラボレーションだ。銀幕の映画スターのアイコンとアンダーグラウンドのゲイクラブのシーンで繰り広げられるエネルギーに満ちた様式的なダンスの作り出す万華鏡に驚かされる。もちろんヴォーグは普通のダンスではない。高度の型にはまった動き、手を使った奇妙なジェスチャー、鋭く突然動き出すポーズで構成され、キャットウォークでの行動様式は不条理主義の極致に達している。このことがフィンチャーのカメラに彫像や絵画、凍って動かない彫刻のような人間の周りを優雅に動き、一回聞くだけでは子供向けの単純なロックに聞こえる楽曲の底にある興味深い憂鬱さを引き出すチャンスを与えている。このミュージックビデオが落ち着かない沈黙から逞しい動き、そして完全に幻覚状態に陥ったダンスへと、感染するように展開する様を見てみよう。これはまるでヴォーグダンスそのもののように構成されている。(そして、誰がデヴィッド・フィンチャー以上にマドンナの背中を巧みに撮っただろう?)

意外なことにこの象徴的なビデオは記録的な速さで撮影された。この楽曲はもともとシングルとして出す予定ではなく、遅れてリリースされたからである。「私たちはこれをできるだけ早く撮影した」とフィンチャーは新聞『ガーディアン』紙に振り返る。「撮影監督のパスカル・ルベーグ、彼は素晴らしい才能を持つ人だが、彼が文字通り自分の露出計を持って飛行機から降りてきた。半分はまだ照明がついていない状態だった。彼はそこに入ってきて「こうして、こうして、こうして、こうして」という感じに指示を出した。そして16時間くらいで撮影し終え、彼女は飛行機に乗ってワールドツアーに出かけたんだ」。

マドンナはこのクリップのために何百人ものダンサーたちをロサンゼルスで手早くオーディションした。数日の間に彼らをふるい落とし、彼らがパフォーマンスできるかどうかを確かめるためにクラブに呼んだ。「僕はちょうどバレエスクールを卒業したばかりだった。この作品は僕にとって2作目だった」とダンサーのサイラム・「スラム」・ガウルーズは語る。「デヴィッドが「彼にこのタキシードを着せて」って言ったのを覚えているよ。だからそれを着た。彼らは僕にいくつかステップを踏ませた。いくつかポーズもとった。15分くらいだった。僕は「OK、これだけかい?」って感じだった。いい出だしではないと思ったんだ。でもそれからこのビデオが発表された。「おお! 僕が出てる!」って感じだったよ」。

7『パパ・ドント・プリーチ』(1986)

この作品では、マドンナがミュージックビデオのコンセプトをプロモーションのためのクリップというよりもショートフィルムのように扱っているのがわかる。予定していなかった妊娠を厳格な父親に打ち明けるティーンネイジャーという、マドンナ自身のキャラクターをしっかりと浸透させている。それは共感を引き起こすような成熟したトーンで描かれ、セックスシンボルとしての彼女のイメージから遠く離れている。スタテン島とマンハッタンで3日かけて撮影した監督のジェームズ・フォーリーは、この歌の持つ深刻さにもかかわらず撮影のムードは「純粋に楽しいものだった」と語る。「誰もこの曲のメッセージや社会的な重要性を飲み込んではいなかった」と彼は言う。「僕たちはただこの曲をできる限り爆音でかけるのが好きだっただけなんだ」。

監督 ジェームズ・フォーリー: 
僕はちょっと腐っていた。クリエイティブな面においてマドンナが絶対的な自由を持っていて、望むことをなんでもできたからだ。僕たちは労働者階級の環境を生かしたいと話し合っていた。なぜならそれまでに彼女は『マテリアル・ガール』や『ライク・ア・ヴァージン』のような魅力的で様式化された作品を作っていたから。彼女はもう少し現実的でドラマのあることをやりたがった。僕は彼女にこう言った。「ニューヨークにはスタテン島という撮影にぴったりの場所があるよ」って。彼女は「なぜ?」って聞いた。「僕はそこで育ったんだ。そこで君とビデオを作れたら僕は天下をとったヒーローになれる。高校時代の友達がみんな、僕の成し遂げたことを見ることができるから」って。それが実現したんだよ(笑)。

僕たちは楽曲の歌詞から台本をそのまま作った。そうするのを一瞬ためらったのを覚えている。多くのビデオは文字通りの解釈てはないから。でも僕は労働者階級の世界に深く入り込みたいという彼女の欲望に結びついている何かを感じたんだ。ビデオの中に彼女がマドンナ—物語のキャラクターではなくて—であるシーンがあるべきだというアイデアが僕にはあった。それが、彼女がコーラスに合わせてダンスする黒い背景のシーンなんだ。

僕はスタテン島に行くフェリーで1シーンを撮りたかった。僕の生い立ちの中でとても重要な部分だから。僕たちは一晩フェリーを貸し切った。撮影が早く終わったから時間が2時間ほど残った。船長が「あと2時間あるよ。どこか行きたいところはある?」と言ってくれた。だから僕と撮影スタッフ、マドンナは湾をただ航海してもらって、それまで見たことのない場所に連れて行ってもらったんだ。あれは魔法のような思い出だ。

父親役にダニー・アイエロをキャスティングするというのはマドンナのアイデアだった。彼女はただ驚くくらいホットで、関わった人は誰でも興奮して幸せな気持ちになるほどだった。スタテン島で撮影をしているときには、住民やパパラッチやあらゆる人が何千人も集まったよ。

すべてが楽しいサーカスのような雰囲気で、ダニーは役をただ的確に演じてくれた。ビデオがリリースされて大ヒットした2週間後、彼はこの曲のアンサーソング『Papa Wants the Best for You』をレコーディングした。彼は信じられないような低音の声を持っている。でもこれは滑稽な歌だったよ。彼は僕に電話をかけてきて、マドンナに自分のビデオに出て欲しいと言ってきた。「彼女は僕に借りがある」ってね。それはうまくいかなかったけれど。

僕はたくさんの映画やビデオを作ってきた。これは明らかにいい気分で製作した5つの作品の1つに入る。終わったときに強く感じたのは創造における自由の価値だ。彼女はそれをとても賢い方法で使っていた。彼女はとても集中していて、成熟している。労働倫理を備えている人だ。僕にとってはいいレッスンになった。絶対的なクリエイティブな力が何を成し遂げるのかというね。彼女は人の仕事をリスペクトしているし、自分がよくとけこむことのできる場所にいると見ている。僕はいつもこう考える。映画の最後のシーンを撮り終えたとき常に、彼女があの自由を扱っていたやり方を僕は記憶にとどめているだろうかって。

Translation by Yoko Nagasaka

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