ミック・ジャガー、40年にわたるボウイとの友情を語る

1986年『ダンシング・イン・ザ・ストリート』を歌うミック・ジャガーとデヴィッド・ボウイ(Photo by Brian Cooke/Redferns)

「俺たちはライバルだったけど、脅かされるようなことはなかった」とジャガーは語る。

ミック・ジャガーが、ローリングストーン誌の独占インタビューで、デヴィッド・ボウイとの40年にわたる友情を回想する。
1月29日に発売されたローリングストーン誌のデヴィッド・ボウイ追悼号で、ボウイの友達が彼との思い出とその音楽的影響について語っている。
ここでは、ミック・ジャガーが語る40年以上にわたるボウイとの友情を紹介する。
おかしな話なんだけど、デヴィッドとの出会いがどんなだったか覚えていないんだ。70年代の初め、俺たちはロンドンでつるんで、いろいろなパーティーに顔を出していた。彼が俺の家に来るときは、自分の曲を何でもプレイしてくれたよ。彼が『ジーン・ジニー』の別ヴァージョンを聴かせてくれたのを今でも覚えている。何ていうか、実にストーンズっぽくて。アーティストとしてのデヴィッドの成長を見ることができて、すごく楽しかったよ。

友達として、俺たちはいつも情報を交換していた。ライバル的な要素があったと思うけれど、脅かされるようなことはなかった。彼が訪ねてくると、たいてい新しいギタリスト、新しい曲作り、スタイルにフォトグラファーとか、仕事の話をしていたよ。
おもしろいデザイン、ナレーション、キャラクターを使ってステージで大きなことをしたいという点で、デヴィッドと俺の意見は同じだった。

デヴィッドはいつも俺の服のラベルを見るんだ。会うと、ハグしながらシャツの襟をめくってどこの服を着ているかチェックしていたよ。ときどき俺を真似ることがあったけど、とても正直な奴だった。デヴィッドが誰かの仕草を真似したら、「これは君の仕草だよ。ちょっと真似させてもらった」と言うだろうね。このことについて全く嫌な気はしなかったね。それ以上にいろいろなものを分け与えてくれたから。それが友情ってものだと思うよ。

80年代、ニューヨークで俺たちはとても仲良くしていたよ。ふたりでよくダンスクラブに遊びに行った。ニューヨークのダウンタウン・シーンに、俺たちは強い影響を受けていたからね。だから、デヴィッドの曲の中では、「レッツ・ダンス」が好きだよ。この曲を聴くと当時を思い出すし、なんたってグルーヴが素晴らしい。デヴィッドは、カメレオンのようにどんなジャンルでも自分のものにしてしまう能力があった。音楽面でも感情面でも、常に独特の解釈でね。
チャリティ・シングル『ダンシング・イン・ザ・ストリート』で共演したことは素晴らしい思い出だね。曲のレコーディングとミュージック・ビデオの撮影を1日で済ませなければならなかったから、俺たちはスタジオからビデオの撮影現場へ直行した。その日の終わりに、「ほら、やればできるんだよ! 今までスタジオにこもっていた時間は何だったんだ?」と言い合った。オーバーすぎる演技を楽しんだおかげで、おもしろいビデオができたよ。俺たちがコラボしたのはこれが最初で最後だったから、本当に悔やまれる。

後に、デヴィッドはカリブ海のマスティク島に別荘を購入したんだけど、俺もそこに土地を持っていたから、よく一緒に過ごしたよ。彼はとてもリラックスしていて、誰にでもとても優しく接しててたね。島の人々のための医療を向上させる活動を熱心に行っていたし、俺は学校のチャリティーに携わっていたから、デヴィッドは俺についてきて、島の子どもたちに読み聞かせをしたんだ。すごい良い思い出さ。

デヴィッドは、体調を崩して2004年ごろからツアーをしなくなった。それから、俺の人生からもステージからも、姿を消したような状態だったけど、奴はとてもおもしろいアルバムを引っ提げて復活を遂げた。
長らく話をしていなかった人がこの世を去るのは、本当に悲しい。
こうしておけばよかった、ああしておけばよかったと思ってるよ。でも、彼は去ってしまった。
人知の及ばない出来事が起こるのが人生なんだ。と、思ったね。

聞き手:パトリック・ドイル

Translation by Naoko Nozawa

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