音楽史上最高のライヴ・アルバム ベスト50

Photo: (Michael Ochs Archives/Getty Images)


25位 デューク・エリントン『Ellington at Newport』(1956年)

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このギグはあまり期待されずに始まった。おそらく酔っ払っていたであろうバンドメンバーの4人がステージに現れず、エリントンは彼らが続けることができないと気づくまでの12分間、ジャズ・フェスティバルのトップバッターを務めた。しかし夜が更けてから彼らは大勢でステージに戻り、彼のキャリアに新しい意味を与えた曲目でジャズファンの心に火をつけた。すべてのものが『ディミニュエンド・イン・ブルー・アンド・クレッシェンド・イン・ブルー』に集約され、当時数十年が経過し古くなってしまったこのダンス・チューンが、このニューポートでテナー・サックス奏者のポール・ゴンザルヴェスによる耳のなかで震えて響き語りかけるような27コーラスの即興演奏の6分間で開花した。デュークはゴンザルヴェスに向かって「もっと高く!」と叫んだ。黒いドレスを着たブロンドの女性が踊り出し、それからたくさんの女性も踊り出した。1ヶ月後デュークはタイム誌の表紙を飾った。ビバップは大所帯のバンド音楽を陳腐に見せたが、このアルバムは熟練とは何たるかを見せつけるものだった。「俺は1956年にニューポート・ジャズ・フェスティバルで生まれた」とデュークは後に宣言した。by RJ Smith

24位 ザ・クインテット『ジャズ・アット・マッセイ・ホール』(1953年)
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「かなり厄介な雰囲気だった」と、ザ・クインテットのドラマー、マックス・ローチは1953年のこのギグを振り返った。「楽屋にいた人たちと彼ら全員が抱えていた問題をすべて解決するには大勢の心理学者を集めた会議が必要だった」。天才、依存症患者、喧嘩好き、バカがいた。ピアニストのバド・パウエルは施設に入居させられて法的に「無能者」の烙印を押された存在で、サックス奏者のチャーリー・パーカーとトランペット奏者のディジー・ガレスピーも過去にいろいろあり(これは彼らにとって一緒に録音した最後の機会となる)、ベーシストのチャールズ・ミンガスは彼を怒らせるようなソロをする人間を叩きのめしたかもしれない。ビバップの独創的でワイルドな一団がやって来たので、パーカーは借り物のプラスティック製のサックスで武装した。「完全に自然に起こったことだった。その日に起こったことは」とローチは述べた。「俺たちはただステージに上がって、それらのことが起こり始めた」。彼らはビバップのスタンダード曲『チュニジアの夜』や『ソルト・ピーナッツ』の決定版だけでなく、パワー・バラード『オール・ザ・シングス・ユー・アー~52丁目のテーマ』の試作版も演奏した。この日の終わりにプロモーターがショーの録音代のギャラも一緒に支払い、ミンガスはこのアルバムがリリースされる前に自分のソロ部分を再録音することになった。by RJ Smith

23位 レッド・ツェッペリン『伝説のライヴ─How The West Was Won─』(2003年)

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レッド・ツェッペリンが1970年代における最も偉大なライヴ・バンドのひとつであるのは疑う余地もない事実だが、彼らがこの時代に出した唯一のライヴ・アルバムである1976年の映画『レッド・ツェッペリン 狂熱のライヴ』のサウンドトラックはまったく迫力のないライヴを収めたものだった。ジミー・ペイジが1972年のバンドのツアーを録音した何時間にもわたるテープを吟味し、素晴らしい18曲の作品としてまとめ上げた2003年になってようやくこの状況は打開された。ゼップの海賊盤は山ほど出回っているが、バンドが複数のバージョンをひとつの曲につなぎ合わせてチートしている部分があったとしても、この作品ほど鮮明で勢いのあるものはひとつもなかった。このアルバムの目玉は、残忍な『移民の歌』や25分にわたる曲『幻惑されて』、23分の長さの『胸いっぱいの愛を』などの即興演奏である。「これがツェッペリンのベスト・コンディションだ」とペイジは2003年に述べた。「この時のバンドメンバーはそれぞれ最高の状態にある。第五元素が手に入るくらいのマジックポイントがあった」。by Andy Greene

22位 ザ・バンド『ロック・オブ・エイジズ』(1972年)

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『ラスト・ワルツ』はザ・バンド作品のなかでいちばん有名なライヴ・アルバムであり、大物ゲストが多数参加したことや一時代の終わりの重々しさがあること、そしてスコセッシによる映画化などが魅力だ。その4年ほど前にニューヨークで録音されたのがこのアルバム『ロック・オブ・エイジズ』になり、最も偉大なライヴ・バンドのひとつである彼らの絶頂期が収められている。彼らは1曲目のマーヴィン・ゲイのカヴァー曲『ドント・ドゥ・イット』(リック・ダンコの意味ありげな質の低いグルーヴ感を披露するもの)から、『W.S.ウォルコット・メディシン・ショー』や『キング・ハーヴェスト』、『アンフェイスフル・サーヴァント』などのばかばかしいほどシンプルなマイナー曲まで終始熱狂し続け、ほとんどの曲にアラン・トゥーサンによるホルンのアレンジが加えられていた。オルガン奏者のガース・ハドソンによる『ザ・ジェネティック・メソッド』から『チェスト・フィーバー』での狂ったような即興演奏は、2枚組のLPの1面をほぼ使い果たすほど長く続き、サイケデリック・ロックの起源である伝説の作品である。これはテレパシーでシンクロした5人が意欲を失う前に奏でたサウンドだ。アルバム『ラスト・ワルツ』はザ・バンドが素晴らしかったことを伝える作品だが、『ロック・オブ・エイジズ』は彼らの素晴らしい瞬間を披露する作品だ。by Simon Vozick-Levinson

21位 マイルス・デイヴィス『コンプリート・ライヴ・アット・プラグド・ニッケル1965』(1995年)

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1965年、残り1公演のみとツアーがそろそろ終わろうという頃、マイルズ・デイヴィス・クインテットは気の狂ったアイデアを思いついた。それは皆が自分たちに演奏してほしいと思っている曲とまったく異なる曲を演奏しようというアイデアだ。バンド(デイヴィスとサックス奏者のウェイン・ショーター、ピアニストのハービー・ハンコック、ベーシストのロン・カーター、ドラマーのトニー・ウィリアムス)はシカゴのクラブに会場入りした瞬間、公演を録音する準備をするレーベルの担当者を目にした。この素晴らしい8枚組のCDボックスセットには音楽の既成概念を覆しジャズの形態が一変する、静けさが入り混じるような2日間で繰り広げられたすべての楽曲が収録されている。トランペット奏者のデイヴィスは序盤ためらいがちであるが、終盤に差し掛かる頃にはバンドの得意分野でかなりの進化を遂げた。「こいつらが序盤で俺よりひどい演奏をしたのを聴いた時、「全力で頑張れ」って意味だと思った」とショーターは振り返った。「俺はこのバンドで一年強活動してきて俺たちは奇抜な存在だったということに気づいた。何て言うか…自由とはこういう意味なのだと」。by RJ Smith

Translation by Shizuka De Luca

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