リンゴ・スターのソロ活動を振り返る20曲

Photo: (Douglas Kirkland/Corbis)


『ノー・ノー・ソング(1974年)

この曲では、スターには、コロンビアからはマリファナが、マヨルカ島からはコカインが(曲中、彼が鼻をすする音が聞こえるのはそのため)、テネシー州からは密造ウィスキーが提供されてくるが、禁酒中だし床に眠るのはごめんだ、という理由ですべて断っていることになっている。この曲の原作者は、ウシガエルについて歌った『ジョイ・トゥ・ザ・ワールド』(クリスマス向けの方ではない)や『グリーン・バック・ダラー(初めてポップ・ソングに「Damn」という言葉を使った)も書いたフォーク歌手のホイト・アクストンだ。彼のマリアッチ楽団風を強めたバージョンは、チーチ&チョンらが参加しているが、スターがリリースした少し後まで発表されなかった。しかしこの音楽の本当のルーツは、明らかにローデシアンのナンバー『スコキアン(初録音は1947年)で、このタイトルはリンゴのレコードに実際に銘記されている。

『グッドナイト・ウィーン(1975年)

このノリの良いニュー・オーリンズ・スタイルのロックンロールはレノンの書いたものだ。タイトルは「ずらかる」というイギリス英語のスラングから来ている。この曲はあまりヒットせず、スターのヒットメーカーとしてのキャリアも「ずらかって」しまう。彼のカリスマ性も70年代に出した最後の2枚のアルバムのスリックなスタジオ・ロックを持ち上げることはできなかった。

『ラック・マイ・ブレイン(1981年)

1980年、スターはカムバックを望んでいた。レノンがスターのために素晴らしい曲を2曲書き、3曲目をジョージ・ハリスンが用意することになっていた。だが、レノンの2曲は、12月の彼の殺害によってまたたく間に手の届かないものになってしまった。『ノーバディ・トールド・ミーのデモはレノンの遺作として扱われてヒットし、楽しげなカントリー調の「ライフ・ビギンズ・アット40」は気味の悪いほど状況にふさわしくなかった。ハリスンの貢献としては、『過ぎ去りし日々を故人となったバンド仲間への追悼曲として改善を重ねる一方で、スターにはその代わりにこのアップテンポの少し楽しげな曲を提供した。この曲はチャート最高位38位で、スターにとってチャートに入った最後の曲となった。

Translation by Kise Imai

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