リンゴ・スターのソロ活動を振り返る20曲

明日への願い(1971年)

70年代のソフトロック(シャウトしたり跳ね回ったりする必要のない)のレイドバックした安らぎ感を部分的に予感させる1971年の『明日への願い』は、それでもやはり、当然のようにスターの最も称賛されたヒットとなった。グリール・マーカスは著書『ストランデッド』の巻末付録となるディスコグラフィー『トレジャー・アイランド』にこの曲を含めている。リンゴの曲はただ1曲だけで、ジョン・レノン(「神」)のソロとジョージ・ハリスン(「彼」— ポール・マッカートニーは『バンド・オン・ザ・ラン』にかかりきりだった)のビート・ソロとを結び付けてのことだった。『アイ・ワナ・ビー・セデイテッド:ポップ・ミュージック・イン・ザ・セヴンティーズ』の著者であるフィル・デリオとスコット・ウッズは『明日への願い』と『思い出のフォトグラフ』の2曲を当時のポスト・ビートルズの全シングルの中でおそらく最高の作品としている。バッドフィンガーの2人によるゴスペル風のバックアップ・コーラスのフィーチャーと、ブラスとシンバルでフックするフィル・スペクターへの不完全なオマージュで隅々までカジュアルに飾られた3分間は、捨てたものではない。

『1970年代ビートルズ物語』(1971年)

「ビートルズに問題なんか何もないよ」。スターは1970年3月にはまだ人々にそう請け負っていたと思われる。1ヶ月後に解散が公表され、さらにそれから半年後に彼はこの希望的でありながらも傷心の追悼辞を際立たせた曲を録音した。この曲は少なくとも最初は『明日への願い』のB面に隠されていた。自分の楽器に対する技術不足(「ベースは難しいからプレイしないさ」とか)を、ヴァース毎にいろいろ悩みながら自虐的に語り続け、昔の仲間(初期のバージョンではこの仲間のことを「騎士」と表現してタイトルに含めていた)がやってきたら誰が一緒にプレイしてくれるか思いを巡らせている。ポールはおそらく、ジョンはきっと、ジョージはもうここにいると。実際、ジョージはこの曲でスライド・ギターとピアノを演奏している。

『バック・オフ・ブーガルー』(1972年)

1972年、イギリスではグラム・ロックが台頭し始め、誰でもそうであったようにスターもTレクスタシーに感化された。スターはドキュメンタリー『ボーン・トゥ・ブギ』を監督して、Tレックスのウェンブリー・スタジアムでのパフォーマンスを祝った。またこの遊び心満載のストンプはどこもかしこもマーク・ボランからの影響だ。リンゴはこの曲を相当気に入り、約10年後にハリー・ニルソンのコーラスを加え、ビートルズからの引用を歌詞に加筆して再録音している。

Translation by Kise Imai

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