ショーン・ペンが語る:麻薬王エル・チャポとの会談(後編)

エル・チャポは始める。「まず明確にしておきたい。このインタビューはミス・ケイト・デル・カスティーリョとミスター・ショーン・ペンのためにのみ撮影したものである」。画面は黒くなる。

映像が元に戻る。メッシュのキャップをかぶった彼は安心した様子だ。

私がエル・チャポに送った多数の質問の中、一部は画面の外にいるカメラマンが直接尋ねている。他の質問は要約され、多くの質問が穏やかなものに変えられ、あるものは完全に飛ばされている。

ーどのような子ども時代を過ごしたのか?

記憶にあるのは6歳からだ。私の両親はとてもつつましく、非常に貧しい一家だった。母が家族を支えようと、私が売るためのパンを作っていたことを覚えている。私はオレンジや飲み物、菓子を売っていた。私の母はとても働きものだった。たくさんの仕事をしていた。私たちはトウモロコシや豆を栽培していた。私は祖母の飼っていた牛の世話をしたり、木を切ったりしていた。

ーどのようにして麻薬ビジネスに関わるようになったのか? 

麻薬に関わるようになったのは15歳のときだ。私はシナロアのバディラグアトにある村のラ・トゥナという名の牧場で育った。今でもその土地には仕事の口がない。食べ物を買う金を手に入れ生き残るには、ケシやマリファナを育てるしかない。15歳のときに私は栽培を始め、育てて売るようになった。教えられるのはそれだけだ。

ー牧場を離れた理由は? どうやって麻薬ビジネスを大きくしたのか?

牧場を離れたのは18歳のときだ。私はクリアカンに行き、そこからグアダラハラに行った。しかし牧場を訪ねなくなったことはない。今もだ。ありがたいことに私の母はまだ生きていて、ラ・トゥナで暮らしているからだ。そうだな、そういう風に過ごしてきた。

ー当時と今とで家族の生活は変わったか? 

非常にいい。子どもや兄弟、甥たちがいる。みんな仲良く、とても普通の暮らしをしている。とてもいい生活だ。

ー今あなたは自由の身だが、それはあなたにどのような影響を与えているか? 

そうだな、自由になれたことは—幸せだ。自由とはとてもいいものだからだ。プレッシャーは私がいつでも感じているものだ。これまでの数年間、一部の町々ではとても注意しなくてはならなかったからだ。今は体にも心にも痛みはない。いい気分だ。

Translation by Yoko Nagasaka

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