ドキュメンタリー『ボブ・ディラン:ドント・ルック・バック』の驚くべき復元作業の内幕

救いの手は、ロサンゼルス在住、元KISSのローディだったピーター・オレキント(Peter Oreckinto)からもたらされた。オレキントは「アナログフィルム音声の教祖」と呼ばれている人物である。ハリングスはマスターテープを彼に送付し、朗報を待った。西海岸に住むオレキントは、テープを受け取ると、この古い信号形式を読み取ることができるカスタムメイドのテープヘッドをゼロから自力で作り上げた。「オレキントからテスト用のオーディオサンプルが送られてきました」とクライテリオンのスタッフは振り返る。「『これで同期できているかどうかは分からないが、とにかくやってみました』というメモが付いていました。われわれはそのすごい音質に完全に圧倒されました。しかもその音声は、映像と完全に同期していたのです!」

オーディオの復元についてプロデューサーのヘンドリクスンは、「あれでこの作品が文字通り産まれ変わったのです」と語っている。「ドノヴァンのシーンを例に取りましょう。あれはこれまで、ひどい侮辱のシーンだと考えられていました。ディランがギターを持って、ドノヴァンの上に立とうとしている様に見えたからです。しかし今回の復元版では、ドノヴァンのほうからディランに「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ、ベイビー・ブルー」を歌ってくれないかと頼んでいるのが聞こえるのです。こうなると、このシーンのそもそもの意図が変わってしまいます。ネガティブなシーンではなかったわけです!我々スタッフ全員で、サウンドトラックを入れ直した直後の映画を見ていて、はたと気がつきました。ちょっと待てよ、今ドノヴァンは曲をリクエストしなかったか?そんなセリフはこれまで誰にも聞こえていなかったのですから」

映像特典として、色あせているとはいえカラーで映し出されているディランが、生々しいしわがれ声で「やせっぽちのバラッド」を歌う短いビデオクリップも収録されている。伝説的なザ・バンドとの1966年のツアーで撮影されたものだ。1965年7月のニューポートでエレキに転向した後に、ディランは初めてザ・バンドを引き連れてツアーに出た。『ドント・ルック・バック』を撮影した海外でのアコースティック・ライヴのほんの数か月後のことだ。ヘンドリクスンは、この瞬間の映像をあえて収録することで、この後のディランの進化を強調しようとしたのだと語っている。「この映画で、アコースティックからエレクトリックへの、そして白黒からカラーへの移行を描きたかったのです」と彼女は語っている。しかしこの映像は逆に、この作品に追加されることが本来自然であると思われる作品、『イート・ザ・ドキュメント(Eat the Document)』が不在であるという事実に脚光をあてることとなった。マーティン・スコセッシが2012年のドキュメンタリー作品『ノー・ディレクション・ホーム』で、このお蔵入りプロジェクトからの場面を使ってはいるが、ペネベイカーとディランのこの悪名高い未発表の2作目は、いまだに海賊版でしか見ることができない状態だ。

Translation by Kuniaki Takahashi

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE