ショーン・ペンが語る:麻薬王エル・チャポとの会談(前編)

私は犯罪者を守る行為とみなされるであろう秘密を守ることに恥を感じない。見ず知らずのセキュリティの男性とのセルフィーのためにポーズをすることをよしとする傲慢さも持っていない。しかし私は自分のリズムに従っている。私がみんなに話すことは絶対に真実である。そして真実であるのと同時に、これは区分化されたものである。エル・チャポが私たちに会ったのは見下されないためだというのは真実である。これは取調室以外でエル・チャポが初めて許可したインタビューだ。だから危険に対処するための手段を与えてくれるような前例が私にはなかった。これまで私は、首を切り落とされ、爆破され、体をバラバラにされ、銃弾で蜂の巣にされた無実の人、活動家、勇気あるジャーナリストやカルテルの敵たちの写真やビデオを数多く見てきた。麻薬撲滅運動の施策を実践し、命を亡くしたアメリカとメキシコ両国の熱心な麻薬取締官や、他の法執行機関の役人、兵士たちを私はよく知っていた。家族たちは殺され、機関は堕落した。

私は、メキシコの麻薬カルテルのリーダーたちの間に流れるエル・チャポの評判のユニークな一面に多少安心感を抱いていた。理由もなく誘拐や殺人を犯す他の多くのリーダーたちとは違い、エル・チャポはまずビジネスマンであり、彼にとって、もしくは彼のビジネス上の利益にとってプラスになると見なしたときのみ、暴力的な手段に訴えるという点である。このシナロアカルテルが、メキシコの犯罪組織の中で支配力を持ち、北西部の鄙びた地域を大きく超えてアメリカとメキシコの主要な国境地域—フアレス、メヒカリ、ティフアナなどに大きく食い込み、はるかロス・カボスにまで広がっているのは、より計算されたように見えるこの戦略のおかげだ(このカルテルの顔として有名なのはエル・チャポであるが、彼だけではなく彼と同等のリーダーシップを持つイスマエル・“エル・マヨ”・ザンバダという人物もいる)。

アメリカ国民として私は、アメリカ政府とマスコミが敵だと宣言した人物に負わせた汚名が一致しないであろうことを追求するのに魅力を感じている。それは逃亡したウサーマ・ビン・ラーディンの追跡が大衆の想像力をとらえたからではない。

しかし一国の国民全体の運命を定めるような馬鹿げた根拠を負わせ、国民をそれに加担させた—ビン・ラディンとは違い、世界で一番のお尋ね者であるこの麻薬王のリーダーシップのポリシーは、私たちアメリカ国民が悪魔扱いしているものと共謀していないのだろうか? 私たちは消費者である。消費者として私たちは、すべての殺人、メキシコ及びアメリカ国民の生活の質を守る機関の能力の腐敗のすべてに加担している。それは違法な麻薬に対する、私たちの貪欲さという形で現れている。

何よりも、それは相対的な倫理観の問題である。化学物質の依存症になり、病に侵され苦しんでいる何万人ものアメリカ人はどうなるのだろうか? 彼らは病という罪のせいで野蛮にも投獄されているのだ。言うに耐えない非人間的な行動と暴力を避けられない施設で行われている囚人たちの厳重監禁、そして迫り来る殺人の脅威。私たちの文化の中の組織的なもの、そして私たちが直接手を下し、見ることができる範囲から外れたものは、ホアレスにいるライバルの麻薬の売人たちを殺すであろう強烈な嫌悪と、倫理的に同じではないと私たちは言っているか? それともそれは受身的な独善性の特徴なのだろうか?

Translation by Yoko Nagasaka

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