ダフト・パンクのドキュメンタリー映像が公開: 2体のロボットが奏でる、自由としての音楽

2006年コーチェラ・フェスティバルでのパフォーマンス( Photo by Karl Walter/Getty Images)


ーダフト・パンクの2人との出会いはどのようなものだったのでしょうか?

彼らとは1996年に、パリのとあるクラブで出会ったんだ。当時世界中のクラバーやエレクトロニック・ミュージックのファンの間で、ダフト・パンクは最もホットなアーティストとして話題になっていたよ。カルチャーに明るいと自負する人なら、絶対に知っておくべき存在だった。そのサウンドはエレクトロニックというよりも、ファンクやポップを消化したロックという印象のほうが強かった。ギターを使わなくてもクールな音楽を作ることはできる、彼らはそれを証明してみせたんだよ。

ステージに立っていたのはどこにでもいそうな2人の男の子だった。お出かけ前に鏡の前で1時間もかけて服装や髪型をチェックするような、いわゆるクールなキッズたちとはまるで無縁という感じだったよ。

後になってその夜のことを思い出した時に、ダフト・パンクは自由の象徴なんだって気づいたんだ。音楽性、そしてアーティスト性の両面において、彼らはあらゆる既成概念を覆す存在だった。彼らの平凡なルックスさえも、強烈なアンチテーゼとなっていたんだ。

ーこのドキュメンタリーの制作期間はどのくらいなのでしょう?

プロデューサーのPatrice Gelléから連絡をもらった時、彼は既に1年以上にわたってこのドキュメタリーの制作を続けていた。彼はBBCワールドワイドの人間として、ダフト・パンク側と直接コンタクトを取ることを許された初めての人物だったんだ。彼の協力なくしてこのドキュメンタリーの完成はなかったよ。誰も見たことがないレアな映像や音源に、自由にアクセスすることができたからね。僕とMarina Rozenmanは、1年ほどかけて脚本の執筆に取り組んだ。2人のリアルなストーリーを知るために、20年以上ダフト・パンクのことを追いかけているジャーナリストたちだけでなく、トーマとギのことよく知る古い友人たちからも話を聞かせてもらった。撮影はパリ、ロサンゼルス、ニューヨーク、そして東京をまたぐ形で、数ヶ月間にわたって行われた。その後、僕は6ヶ月間スタジオにこもりっきりで編集作業に取り組んだんだ。

ーダフト・パンクの2人はどういう形で制作に携わったのでしょうか?

僕とPatriceとMariaの3人は、彼らのマネージャーのポールとロサンゼルスで会ったんだ。彼いわく、2人は僕のことをアーティストとして信頼してくれているから、自由にやってくれて構わないということだった。それでも、2人が長年かけて築き上げたロボットのマジックは絶対に傷つけないで欲しいと念を押されたよ。実を言うと、自由にやっていいとは言われたものの、最終的にはそうはいかないだろうと思ってた。でも違ったんだ。彼らは本当に僕らの好きなようにやらせてくれた。最初の試写会が行われる日まで、作品を見せて欲しいと1度も言ってこなかった。独裁者かのように自分のことを語りまくるアーティストはたくさん目にしてきたけど、トーマとギの2人はまさにその対極にあるような存在だ。彼らが自由に音楽を作るように、クリエイターの僕らも自由に作品を作るべきだと考えているんだよ。

ー映画監督、そして彼らのいちファンとして、ダフト・パンクが音楽やカルチャーの世界に及ぼした影響とはどのようなものだったと考えますか?

世の中にはとにかくレコードを売りまくることしか頭にないアーティストがたくさんいるけど、ダフト・パンクは自由に音楽を作ることと、そこから生まれる夢や世界観を守り続けることが何よりも大切だと信じているんだ。彼らが20年以上にもわたって音楽の世界に革命を起こし続けているのは、きっとそういうピュアな部分を失わずにいるからだと思う。彼らがどういうジャンルの音楽から最もインスピレーションを得るのかは、今でもわからないままだ。それは彼らが何にもとらわれず、自由に音楽を作り続けていることの証だと思う。ジャンルやスタイル、人種や言語、彼らの音楽はあらゆる壁を越えて世界中に響きわたっている。これからの時代を担っていく若いアーティストたちにとっても、文字どおりお手本となるような存在だね。

Translation by Masaaki Yoshida

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