ダンスアルバムでブレイクしたサム・スミス等11人のポップスターたち

04.マーク・アンソニー/ Marc Anthony

Reuters/Getty

ニューヨークでプエルトリコ系移民が多く住むイースト・ハーレムで育ったマーク・アンソニーは、そのキャリアをスタジオシンガーやソングライターとしてスタートさせた。またアメリカで人気を博したプエルトリコ出身のアイドルグループ「メヌード」のバックシンガー兼ソングライターも務めていた。

アンソニーが始めて出したフリースタイルのアルバム『Rebe』(1988年)は失敗に終わったが、ニューヨークの伝説的プロデューサー、“リトル”・ルイ・ヴィエのクラブヒット曲の数々でフィーチャリングし、一躍人気を得た。とくに「Ride on the Rhythm」(91年)の大ヒットによって、アンソニーとヴィエはラテンの大御所ティト・プエンテのマディソン・スクエア・ガーデンでのコンサートでオープニング・アクトに選ばれた。

そうした成功の後、アンソニーはサルサ歌手に転向。スペイン語アルバムを何枚も出してグラミー賞も受賞している。俳優としても活躍中で、これまでに10本の映画に出演した。


05.トリッキー / Tricky

Photo by Olivia Hemingway/Redferns


「トリッキー・キッド」ことトリッキーは、80年代に生まれ故郷の英ブリストルで結成されたDJ集団「ワイルド・バンチ」に参加。当時ティーンエイジャーだった彼は、マリファナに溺れた問題児だった。

トリッキーのキャリアがブレイクしたのは、ワイルド・パンチが解散し「マッシヴ・アタック」として活動を再開したとき。彼らのデビュー・アルバム『ブルーラインズ』(91年)の中の3曲で、トリッキーはフィーチャリングされた。

だがトリッキーが、「ザ・ポップ・グループ」のマーク・スチュワートと聖歌隊のシンガーだったマルティナ・トプリー・バードと一緒につくった曲は、マッシヴ・アタックに拒まれた。その曲こそが、後にトリッキーが自腹でホワイトレーベルとして出してセンセーションを巻き起こした「Aftermath」だ。その後すぐに、ソロデビュー・アルバム『Maxinquaye』をリリース。同作は、90年代に発表されたアルバムのなかで、最も時代を先取りした作品の1つだと評価されている。

Translation by Nao Nakamura

Tag:

RECOMMENDEDおすすめの記事


MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE